今は世に言問ふ人も不知哉川‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 歌枕「あねはの松」

 「あねはの松」という歌枕がある。「あねは」は姉歯と表記。あの耐震偽造設計の姉歯一級建築士と同じである。陸奥国の歌枕だが、現在地は宮城県栗原市金成町姉歯あたりに代々残るとされる松。姉歯建築士の出身古川市とは隣接しているものの30kmほど北東にあたるようだ。
在原業平伊勢物語には陸奥の国のくだりで
 栗原やあねはの松の人ならば都のつとにいざと言はましを
と詠まれている。歌意は、あねはの松が仮に人であったなら、都への土産にと、一緒に行こうよと誘うのだが‥‥と。要するに、男と懇ろになった土地の女が一緒に連れて行ってと取り縋るのを、松に見立てて体よく袖にしたという訳だが、見事な枝振りの松に喩え誉めそやされては、男の不実を知りつつも強くは責められなかったろう女心にあはれをもよおす。
 「姉歯の松」の由来譚は、さらに古く6世紀末の用命天皇の頃か、都に女官として仕えることになった郡司の娘が悲運にもその徒次にこの地で病死してしまうという逸話が背景となっているらしい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−13>
 今は世に言問ふ人も不知哉川住み荒らしたる床の山風  豊原純秋

松下抄、恋、寄床恋。生没年未詳、室町時代後期の人。雅楽の笙相伝の家系に生まれ、後柏原天皇[在位:明応9年(1500)−大永6年(1526)]に秘曲を伝授したと伝えられる。
不知哉川(いさやがは)−近江国の歌枕、滋賀県犬上郡の霊仙山に発し、彦根市で琵琶湖に注ぐ大堀川のこと。
邦雄曰く、この世には、夜々訪れてくる人もない。愛する人を迎えるあてもなく床は荒れ果て、閨には山からの烈風が吹き込む有様。万葉集・巻十一の寄物陳思歌に「犬上の鳥籠の山にある不知哉川いさとを聞こせわが名告(の)らすな」とあり、これを巧みに換骨奪胎した、と。


 音するをいかにと問へば空車われや行かむもさ夜ふけにけり  大内政弘

拾塵和歌集、恋、深更返車恋。文安3年(1446)−明応4年(1495)、周防・長門豊前筑前守護大名大内氏29代当主。応仁の乱では細川氏と対立、西軍の山名宗全に加勢。和歌・連歌を好み、一条兼良・宗祇ら当代の歌人連歌師と深く交わる。空車−読みは、むなぐるま
邦雄曰く、或は恋しい人が来たかと、車の音にそわそわと立ち上がり、聞けば残念ながら空の車だったという。その車に乗って自分のほうから出かけようかとも思うが、時すでに遅し、人を訪ねてよい時刻ではない。まことに散文的な、事柄だけを述べた三十一音だが、無類の素朴さが心を和ませる、と。


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