春の色を飛火の野守たづぬれど‥‥


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−今日の独言− 寒心

 どの局だったか朝のワイドショーで、バレンタインデーは煩わしく迷惑派が圧倒的に多いというアンケートを紹介していた。ホワイトデーのお返し習慣も同様に煩わしいと考えているのが大多数、と。
それでも巷ではここぞとばかり、美装されたチョコは氾濫、飛び交っている。迷惑顔をしながら溜息まじりに、幾つもの義理チョコを買い求める図を想うと、深刻な格差社会が進んでいるというのに、ファッション化されてしまった風俗習慣はまことに根強いと、妙に感心させられる。イヤ、寒心というべきか。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−6>
 春の色を飛火の野守たづぬれどふたばの若葉雪も消えあへず  藤原定家

拾遺愚草、上、院初度百首。
飛火の−飛火野、大和の歌枕、古く春日野は現在よりかなり広い範囲を指し、飛火野はその一角で狭義の春日野、現在の奈良公園一帯か。野守−禁猟の野を守る番人のこと。
「春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日(いくか)ありて若菜摘みてし」古今集・詠み人知らずの本歌取り
邦雄曰く、後鳥羽院に初めてその抜群の歌才を認められた38歳秋の院初度百首中の早春歌。本歌に対し、雪を描いて若菜の芽のさ緑を際立たせ、「飛火」には朱を連想させて「春の色」とした。字余りの初句・結句、野守のもどかしい心を反映させていると考えれば、更に面白かろう、と。


 水籠りに蘆のわかばや萌えぬらむ玉江の沼をあさる春駒  藤原清輔

千載集、春上、崇徳院に百首の歌奉りける時、春駒の歌とて詠める。
長治元年(1104)-安元3年(1177)。顕輔の次男、重家・顕昭の兄。正四位下太皇太后宮大進。藤原俊成と並び称され、二条院の勅を受けて続詞花集を選んだが、院崩御のため勅撰集にならず。奥義抄・袋草紙など多くの歌学書。千載集以下に94首。
水籠(みごも)りに−水中に隠れて、の意。玉江−本来は美しい入江の意味だが、越前の国や摂津の国の歌枕。この場合は「三島江の玉江」のように摂津の国とされる。
邦雄曰く、早春歌であり牧も近いから、淀の玉江がふさわしい。さ緑の蘆の芽を食む若駒、蹄にかかる浅瀬の濁り、絵になる一首、と。


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