今はとて別るる袖の涙こそ‥‥

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−今日の独言− 伝統工芸展の粋美と貧相と

 すでに旧聞に属することになってしまったが、先週の日曜日、稽古を終えてから、昨秋新装なった心斎橋そごうで開催されていた「日本伝統工芸展」を観に出かけた。友人の村上徹君(市岡17期)の木工漆器、おまけに草木染の志村ふくみの直弟子と聞く細君の染織と、夫妻揃っての出展と聞いては是非にも観ておかずばなるまいと思った訳だ。
出品数736点という壮観ぶりに大いに驚かされつつ堪能もした。陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、そして諸工芸と七部に分けられていたことも、この分野に疎い私には成る程そういうものかと得心させられた。
一人一品という出展だから、全国から名工達人がこぞって出品しているということだろう。会場で手渡された出品目録によれば、重要無形文化財即ち人間国宝の手になる作品が41点を数える。念のためググって調べてみると伝統工芸関係の人間国宝は平成16年度時点では48件57人となっているから、その大半が出品している訳で、伝統の匠の高度な技芸が一堂に会していることにもなろうから、見応えのあること夥しいのだが、まことに悲しくも情けないと思われるのは、会場のあまりにも狭いこと。
一点々々を鑑賞するに充分な余白の空間がなく、どれを見ても視界には必ずいくつもの作品が眼に入り、上下左右、隣近所の質の異なる作品同士が競合しあっているといったありさまなのだ。これでは各々の作品の質、レベルの高さが泣こうというもので、主催には大阪府教育委員会大阪市ゆとりとみどり振興局、NHK大阪局、朝日新聞社と名を連ねており、文化庁の後援というには、あまりに貧相でお粗末な展示ぶりで、この国の文化度は畢竟この程度かと、作品世界の質の高さと所狭しとばかり雑多に並べられた展示会場の不釣合いな落差に憤慨しつつも、一緒に行った連れ合いと顔を見合わせて思わず嘆息してしまったものだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−22>
 今はとて別るる袖の涙こそ雲の上より落つる白珠  藤原元眞

元眞集、賀茂にて人に。
生没年未詳、10世紀中葉の人。甲斐守従五位下清邦の子、母は紀名虎の女、従五位下丹波介。年少より歌才を顕し、屏風歌を多く遺すも、勅選入集は遅れ、後撰集が初にて、計29首。三十六歌仙の一人。
邦雄曰く、恋よりもむしろ別離に入れたいような凛然たる趣きも見える。類型に堕した作のひしめく平安朝恋歌の海の中に、まことにこの一首は、決して紛れぬ一顆の大粒の真珠さながらに光る。涙雨の換言にすぎないのだが、細々と訴えるのではなく、朗々たる歌の姿を保っているところが、いかにもめでたい、と。


 さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと  作者未詳

万葉集、巻十四、相聞、駿河国の歌。
邦雄曰く、逢うて寝た間はほんのたまゆら、玉の緒よりも短いのに、胸の中の騒立つ恋心は富士の鳴沢の音さながら。万葉風誇大表現の一パターンながら、二句切れの弾む調べと快く華やかな詞とが、鮮やかな印象を創り上げた、と。


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