いつとなく心空なるわが恋や‥‥

C051024-103-1

−今日の独言− パースペクティヴⅢ<自−他、変換可能性>

 ここでは物は、単に対象化された受動的な存在としてではなく、<能動−受動>的な存在としてあらわれる。物は、われわれによって把握されると同時に、われわれにたいして自己を表現するのである。日常の明瞭な意識の基底にあるこの深層のレヴェルでは、主体の秩序と物の秩序、私のパースペクティヴ展望と対象からのパースペクティヴ展望がみわけがたく交叉し、原初的な両義性のうちで、私は気づかぬままに。一方の秩序から他方の秩序へと、一方の展望から他方の展望へと移行する。われわれが電車の窓から外をながめるとき、また林の樹々のあいだをとおりぬけてゆくとき、私は私のパースペクティヴ遠近法で、前景、後景の移りゆく風景や樹々の配置をながめているが、ふと私は、向こうからのパースペクティヴ遠近法にとらえられ、配置されているのに気づくことがある。私の存在は、深層において主体から対他物存在へと転換し、私が風景をとらえるのではなく、私が風景によってとらえられ、樹をみつめている私は、いつしか樹にみつめられていることを発見する。

 このようなパースペクティヴの変換可能性は、私の対他者存在の把握に暗に含まれている主体としての他者の了解によって顕在化され、かつ内面化される。私のパースペクティヴは、原理的には、つねに別のパースペクティヴでもありうること、すなわち具体的な個々の知覚や行動は、いぜんとして<いま−ここ−私>に中心化されているが、同時にいまは別の時でもありうること、ここはよそでもありうること、私は別の私あるいは他者でもありうることが了解されるようになる。それはまた自己と他者の視点の交換可能性を自覚することによって、癒着的な自己中心性を脱却し、より脱中心化された自己を確立する過程でもある。

    ―― 市川浩「現代芸術の地平」より抜粋引用


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−23>
 なぐさめし月にも果ては音(ネ)をぞ泣く恋やむなしき空に満つらむ   顕昭


古今集、恋三、後京極摂政の家の百首の歌合に。
邦雄曰く、秀歌には乏しい六条家の論客顕昭の、一世一代の余情妖艶歌とも言えよう。俊成が「月にも果ては」と言へる、優なるべしと褒めている。だが、なによりも下句の虚空満恋の発想が、独特の拡がりと儚さに白々と霞む感あり、見事と讃えたい、と。


 いつとなく心空なるわが恋や富士の高嶺にかかる白雲   相模

拾遺集、恋四、永承四年、内裏の歌合に詠める。
生没年不詳。一条天皇の長徳末・長保頃の出生か。源頼光がその父或は義父という。相模守大江公資と結婚し、別れた後は修子内親王に仕えたらしい。後拾遺集以下に45首。
邦雄曰く、十一世紀半ばの繊細になりまさる恋歌の作のなかで、悠々たる思いを空に放つかの調べは珍重に値しよう。古今集に「人知れぬ思ひを常に駿河なる富士の山こそわが身なりけれ」がある。相模の作は下句が即かず、やや離れてまさに虚空に浮かぶ感のあるところ、本歌を遥かに超えている。富士山と恋心の照応の超現実性は万葉写しか、と。


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