見渡せば山もと霞む水無瀬川‥‥

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−今日の独言− 11年前の3月20日

昨日は、素人目から見ても穴だらけの奇妙なWBCシリーズで、幸運にも恵まれて決勝戦に勝ち残った王ジャパンキューバを降してチャンプになった騒ぎ一色に塗りつぶされたような一日だった。もちろんケチをつける心算は毛頭ない。あのクールな野球エリートだったイチローが、これまで決して見せなかった熱いファイターぶりを、まるで野球小僧のように惜しげもなくTV画面一杯にくりひろげる姿は意外性に満ちて、それだけでも見ている価値は充分にあった。
3月21日のこの日が、第1回WBC王ジャパンが制した記念日として球史に刻まれることは喜ばしいことにはちがいないし、イチローを筆頭にこのシリーズの王ジャパンの活躍ぶりが、とりわけ一昨年からゴタゴタの続く斜陽化した日本のプロ球界に大きなカンフル剤となったことだろう。


ところで、11年前の1995年の一昨日(3/20)は、オウム真理教団による地下鉄サリン事件が凶行された日だった。ちょうどこの日も一昨日と同じように、日曜と春分の日に挟まれた、連休の谷間の月曜日だった
この無差別テロというべき事件の被害者60人余への聞書きで編集された村上春樹の「アンダーグランド」を読みはじめたのは昨年の暮れ頃だったのだが、なにしろ文庫版で二段組777頁という大部のこと、折々の短い空白時を見つけては読み継ぐといった調子で、やっと読了したのは一週間ほど前だ。
本書のインタビューは事件発生の翌年の1月から丸一年かけて行われたらしい。被害者総数は公式の発表ではおよそ3800人とされているが、そのうち氏名の判明している700人のリストからどうやら身元を確定できたのは二割の140人余り。この人たちに逐一電話連絡を取り取材を申し込むという形で、承諾が得られインタビューの成立したのが62人だったという。
眼に見えぬサリンという凶器による後遺症やトラウマに今もなお苦しみ悩むそれぞれの日々の姿が縷々淡々と述べられているのだが、読む此方側がなにより揺さぶられるのは、彼ら被害者を襲う身体的な苦痛や心的障害がサリン被害によるものと、その因果関係を容易には特定できないということだ。このことは結果として被害者一人ひとりの心を二重に阻害し苦しめることになる。
本書を村上春樹がなぜ「アンダーグランド」と名付けたのかについては、彼自身がかなりの長文であとがきに書いているその問題意識から浮かび上がってくる。
「1995年の1月と3月に起こった<阪神大震災地下鉄サリン事件>は、日本の戦後の歴史を画する、きわめて重い意味を持つ二つの悲劇であった。それらを通過する前と後とでは、日本人の意識のあり方が大きく違ってしまったといっても言い過ぎではないくらいの大きな出来事である。それらはおそらく一対のカタストロフとして、私たちの精神史を語る上で無視することのできない大きな里程標として残ることだろう。−略− それは偶然とはいえ、ちょうどバブル経済がはじけ、冷戦構造が終焉し、地球的な規模で価値基準が大きく揺らぎ、日本という国家の有り方の根幹が厳しく問われている時期に、ぴたりと狙い済ましたようにやってきたのだ。この<圧倒的な暴力>、もちろんそれぞれの暴力の成り立ちはまったく異なっており、ひとつは不可避な天災であり、もう一つは人災=犯罪であるから、暴力という共通項で括ってしまうことに些かの無理はあるが、実際に被害を受けた側からすれば、それらの暴力の唐突さや理不尽さは、地震においてもサリン事件においても、不思議なくらい似通っている。暴力そのものの出所と質は違っても、それが与えるショックの質はそれほど大きく違わないのだ。−略− 被害者たちに共通してある、自分の感じている怒りや憎しみをいったいどこへ向ければいいのか、その暴力の正確な<出所=マグマの位置>がいまだ明確に把握されないなかで、不条理なまま立ち尽くすしかない。−略− <震災とサリン事件>は、一つの強大な暴力の裏と表であるということもできるかもしれない。或いはその一つを、もう一つの結果的なメタファーであると捉えることができるかもしれない。それらはともに私たちの内部から−文字どおり足下の暗黒=地下(アンダーグランド)から−<悪夢>という形をとってどっと噴き出し、私たちの社会システムが内包している矛盾と弱点とを恐ろしいほど明確に浮き彫りにした。私たちの社会はそこに突如姿を見せた荒れ狂う暴力性に対し、現実的にあまりに無力、無防備であったし、その出来事に対し機敏に効果的に対応することもできなかった。そこで明らかにされたのは、私たちの属する「こちら側」のシステムの構造的な欠陥であり、出来事への敗退であった。我々が日常的に<共有イメージ>として所有していた(或いは所有していたと思っていた)想像力=物語は、それらの降って湧いた凶暴な暴力性に有効に拮抗しうる価値観を提出することができなかった、ということになるだろう。」


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−27>
 見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ   後鳥羽院

新古今集、春上、男ども詩を作りて歌に合せ侍りしに、水郷春望。
水無瀬川−歌枕。山城と摂津の境、現在の大阪府島本町を流れる水無瀬川
邦雄曰く、元久2年6月15日、五辻御所における元久詩歌合の時の作。「なにおもひけむ」の鷹揚な思い入れが、上句の縹渺たる眺めに映えて、帝王の調べを作った。二十歳の時の院初度百首にも「秋のみと誰思ひけむ春霞かすめる空の暮れかかるほど」があり、作者自身の先駆作品とみるべきか、と。


 朝ぼらけ浜名の橋はとだえして霞をわたる春の旅人   九條家良

衣笠前内大臣家良公集、雑、弘長百首。
浜名の橋−歌枕。遠江の国、静岡県浜名湖に架かる橋。
邦雄曰く、橋は霞に中断されて、旅人は、その霞を渡り継ぐ他はない。言葉の世界でのみ可能な虚無の渡橋とでも言おうか。浜名の橋は貞観4年に架けられた浜名湖と海を繋ぐ水路の橋。袂に橋本の駅あり、東海道の歌枕としていづれも名高い、と。


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