春雨はふりにし人の‥‥

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−今日の独言− 結婚式の二次会パーティ

昨夕(3/18)はしのつく雨の中を、いまどきの若いカップルには恒例化した結婚披露パーティなる集いに家族三人で出かけた。
正規の式・披露宴の後、友人たち中心に行われる二次会というやつである。会場は中之島リーガロイヤルホテルの一階にあるナチュラルガーデン。
当の若いカップルとは連れ合いが習う琵琶の師匠のお嬢さんとそのお相手で、ともに26歳同士とか。彼女も幼い頃から門前の小僧で母親から琵琶の手ほどきを受け、すでに師範の資格を得ているから、連れ合いにとっては若くても大先輩の姉弟子となる。加えて師匠一家とは家族ぐるみのお付合いにも近いものがあるから、牛に引かれての類で私も出番と相成る訳だ。
会場の出席者を見渡したところ、どう見ても私一人が突出して年嵩だ。おそらく私が占める空間だけがなにやら異なる雰囲気を醸し出して、周囲にはさぞ怪訝なものに映っていたことだろう。
しかし、春にも似合わぬ冷たい雨に祟られたのも大いに加担したかもしれないが、祝い集った友人たちにも、いまひとつ浮き立つような晴れやかさなり若者特有の躍動ぶりが、些か欠けていたように私には感じられたのだが、この手のパーティも既にあまりに常態化している所為ではあるまいか。
だれもがエンターテイメント化した軽佻浮薄さのなかで、こういうパーティがある種の興奮や熱気に包まれ、出席者たちに一様に宴の後のカタルシスをもたらすには、かなりの企画力と演出力がスタッフたちに要求されようが、どうやらバレンタインの義理チョコめいた、そんなお付き合いにも似た仲間内での請け合いでお茶を濁しているというのが実態に近いようで、だとすればこの二次会パーティ流行りもそろそろ年貢の納め時だろう。


今月の購入本
 富岡多恵子中勘助の恋」創元社
 辻惟雄「奇想の系譜」ちくま学芸文庫
 M.ブキャナン「複雑な世界、単純な法則−ネットワーク科学の最前線」草思社
 J.クリステヴァ「サムライたち」筑摩書房
 安東次男「花づとめ」講談社文芸文庫
 安東次男「与謝蕪村講談社文庫
 久松潜一・他「建礼門院右京太夫集」岩波文庫

図書館からの借本
 加藤楸邨「一茶秀句」春秋社
 山口誓子芭蕉秀句」春秋社
 安東次男「澱河歌の周辺」未来者
 椹木野衣「戦争と万博」美術出版社


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−26>
 春雨はふりにし人の形見かもなげき萌えいづる心地こそすれ  道命

道命阿闍梨集、思ひにて、春頃、雨の降る日。
天延2年(974)−寛仁4年(1020)、大納言藤原道綱の子、兼家・道綱母の孫。13歳で比叡に入山、良源(慈恵)を師とし、後に阿闍梨となる。また天王寺別当に。和泉式部との浮名も伝わり、栄花物語古事談・宇治拾遺・古今著聞集などに逸話を残す。
邦雄曰く、早春に我を偲べと降る涙雨、悲しい形見を亡き人は残していってくれたものだ。その春雨は、一度は収まっていた悲嘆さえも、また草木の芽が吹き出るように、むらむらと蘇ってくる。この歌、単なる機智ではない。出家らしい輪廻の説法でもない。薄れかけていた心の痛みが、ふとまた兆すことを独り言のように歌ったのだ。第四句が切ない、と。

 山の端はそこともわかぬ夕暮に霞を出づる春の夜の月  宗尊親王


玉葉集、春上、春月を。
邦雄曰く、窈窕ともいうべき春夜の眺め、新古今調とはまた趣を異にした、雲母引きの、曇り潤んだ修辞の妙は13世紀末のものであり、玉葉調の魁とも思われる。勅撰入集190首は歴代王朝の最高で、その技法も卓抜。玉葉・春上ではこの歌の次に、藤原定頼の秀歌「曇りなくさやけきよりもなかなかに霞める空の月をこそ思へ」が続く、と。


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