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奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

古今東西−書畫往還> 辻惟雄の「奇想の系譜」

 本書の初版が刊行された1970(S45)年当時、衝撃的な異色作として迎えられたことだろう。
文庫版解説の服部幸雄の言を借りれば、「浮世絵以外の近世絵画の中にこれほど迫力があり、個性的かつ現代的な画家たちが存在していたとは、思ってもいなかった。そういうすぐれた画家たちがいたことを、私は多くの作 品とともに、本書によって初めて教えられた。眼からうろこが落ちるとは、こういう時に使うべき表現であろう。」ということになり、「近世絵画史の殻を破った衝撃の書」と賞される。
 初版は、1968(S43)年の美術手帖7月号から12月号にかけて連載された「奇想の系譜−江戸のアヴァンギャルド」を母体に、新しく長沢蘆雪の一章を加筆したのが70年「奇想の系譜」として美術出版社から出されたのだが、それは江戸時代における表現主義的傾向の画家たち−奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特色とする画家たちの系譜を辿ったものだが、美術手帖連載当時、部分的には私も眼にしていたものかどうか、40年も経ようという遠い彼方のこととて深い靄のなかだ。
 ただその頃、厳密には少し前のことになるが、広末保らによる幕末の絵師「土佐の絵金」発見があり、そのグロテスクにして奇矯な色彩、劇的な動きと迫力に満ちた絵画世界が注目されていたことは、私の記憶のなかにも明らかにある。絵金の表現する頽廃とグロテスクな絵は、宗教的・呪術的なものに媒介された絢爛と野卑の庶民的な形態としての実現であったろうし、民衆の想像力として爆発するそのエネルギーに現代的な意義が見出されていたのだろう。
 著者は「奇想の系譜」を、岩佐又兵衛(1578-1650)、狩野山雪(1590-1651)、伊藤若冲(1716-1800)、曽我蕭白(1730-1781)、長沢蘆雪(1754-1799)、歌川国芳(1797-1861)と6人の画家たちで辿ってみせる。彼らの作品は、常軌を逸するほどにエキセントリックだ。或いは刺激的にドラマティックだ。また意外なほどに幻想的で詩的な美しさと優しさに溢れていさえする。それらはシュルレアリスムに通底するような美意識を備えており、サイケデリックで鮮烈な色彩感覚に満ちていたりする。まさしく60年代、70年代のアヴァンギャルド芸術に通ずるものであったのだ。
 著者はあとがきで言っている。「奇想」の中味は「陰」と「陽」の両面にまたがっている。陰の奇想とは、画家たちがそれぞれの内面に育てた奇矯なイメージ世界である。それは<延長された近代>としての江戸に芽生えた鋭敏な芸術家の自意識が、現実とのキシミを触媒として生み出したものである。血なまぐさい残虐表現もこれに含めてよいだろう。これに対し陽の奇想とは、エンタティメントとして演出された奇抜な身振り、趣向である。「見立て」すなわちパロディはその典型だ。この一面は日本美術が古来から持っている機智性や諧謔性−表現に見られる遊びの精神の伝統−と深くつながっている。さらにまた芸能の分野にも深くかかわっていた。奇想の系譜を、時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴としてとらえること、と。
 辻惟雄の近著「日本美術の歴史」(東京大学出版会)では、これら奇想の系譜の画家たちが、美術史の本流のうちに確かな位置を占めている筈だ。


Information「Shihohkan Dance−Café」


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