春はいかに契りおきてか‥‥

Nakahara0509180561

Information<Shihohkan Dance-Café>

−今日の独言− 愛国百人一首

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂  吉田松陰
太平洋戦争のさなか、小倉百人一首に擬して「愛国百人一首」なるものが作られていたというが、吉田松陰の一首もこれに選集されたものである。
対米開戦の翌年、日本文学報国会が、情報局と大政翼賛会後援、東京日日新聞(現・毎日新聞社)協力により編んだもので、昭和17年11月20日、各新聞紙上で発表された、という。
選定顧問に久松潜一徳富蘇峰らを連ね、選定委員には佐々木信綱を筆頭に、尾上柴舟・窪田空穂・斎藤茂吉釈迢空土屋文明ら11名。選の対象は万葉期から幕末期まで、芸術的な薫りも高く、愛国の情熱を謳いあげた古歌より編纂された。
柿本人麿の
 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも  
を初めとして、橘曙覧の
 春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
を掉尾とする百人の構成には、有名歌人以下、綺羅星の如く歴史上の人物が居並ぶ。
どんな歌模様かと想い描くにさらにいくつか列挙してみると、
 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも  源実朝
 大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為  賀茂真淵
 しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長
ざっとこんな調子で、「祖先の情熱に接し自らの愛国精神を高揚しよう」と奨励されたという「愛国百人一首」だが、いくら大政翼賛会の戦時下とはいえ、まるで古歌まで召集して従軍させたかのような、遠く現在から見ればうそ寒いような異様きわまる光景に、然もありなんかと想いつつも暗澹たるものがつきまとって離れない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−47>
 白川の春のこずゑを見渡せば松こそ花のたえまなりけれ  源俊頼

詞花集、春、白川に花見にまかりてよめる。
白川−山城国の歌枕、京都北白川を西南に流れ、鴨川と合流していた川。
邦雄曰く、淡紅の桜と黒緑の松の織りなす模様を、殊に松に重点をおきながら詠み、結果的に盛りの花をひとしお際立たせる。奇手に似てしかも堂々たる調べを乱さず、朗々誦すべき秀歌となった。「春のこずゑ」も12世紀初頭ならば大胆な表現であろう。新風の爽快な味わいはこの一首にも横溢し、隠れた秀作というべきか、と。


 春はいかに契りおきてか過ぎにしと遅れて匂ふ花に問はばや  肥後

新勅撰集、雑一、太皇太后宮大弐、四月に咲きたる桜を折りて遣わして侍りければ。
生没年未詳、11世紀の人、肥後守藤原定成の女、常陸守藤原実宗に嫁した。関白藤原師実に仕え、晩年は白河院皇女令子に仕えた。院政期の女流歌人で家集に「肥後集」、金葉集初出、勅撰入集53首。
邦雄曰く、金葉集巻頭から4首目に、立春の歌を以って登場する肥後は、平安末期の有数の女流だが、代表作に乏しい。新勅撰で定家に選ばれたこの「花に問はばや」など、彼女の美質の匂いでた好ましい例であろう。季節にやや遅れて咲いた桜に寄せての贈歌だが、あたかも約束に遅れた愛人に、違約を恨むような嫋々たる調べは心に残る、と。

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