ほととぎすそのかみ山の旅枕‥‥

0508260251

−表象の森− くりくりしたる

一茶47歳、文化7(1810)年の句三題。

  雪解けてくりくりしたる月夜かな

「くりくりしたる月夜」という把握が実にいい。擬態語「くりくり」は、いかにもその内部から充実した、弾むような形容だ。楸邨氏は「雪解けから月へ微妙な感覚の推移する把握は、事象を外から観察しただけでは描ききれない鋭さがある。視覚的なものに、触覚的なものさえ加味されて、一茶の全身で受け止める力が出ている。自然の中に人間的な肌ざわりを発見してゆく傾向こそ、一茶的な自然把握の大きな特色」と鑑賞を導く。

  五月雨や胸につかへる秩父

詞書に、「けふはけふはと立ち遅れつつ入梅空いつ定まるべくもあらざれば五月十日東都をうしろになして」と。継母・異母弟との遺産相続をめぐる何度目かの交渉に、江戸を発って柏原に帰ろうとする、その気重が「胸につかへる」と些か異様ともみえる形容をさせたのだろう。行く手をふさぐように聳え立つ秩父山が、降りしきる五月雨とともに、帰参を急ぎつつも塞ぐ一茶の心をそのままに映し出す。

  暮れゆくや雁とけぶりと膝がしら

「暮れゆくや」の初語に対して、「雁」はごく順当に誰でも詠む。「けぶり」を付合せるとなると、もうかなり鋭い着眼だろう。「暮れゆく−膝がしら」へと到る把握となれば、これはもう一茶ならではの直観か、自然と人生の観照に深い眼がなくては、とても生み出し得ない世界だ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−06>
 ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ   式子内親王

新古今集、雑上、いつきの昔を思ひ出でて。
邦雄曰く、式子内親王は十代の大半を賀茂の斎院として過した。12世紀中葉平治元年4月中酉に、初めて彼女は賀茂の祭りを宰領した。夏の「忘れめや葵を草に引きむすび仮寝の野べの露の曙」とともに、窈窕としてその麗しさ限りを知らぬ。各句の頭韻をたどると「ほ・そ・た・ほ・そ」と溜息のような響きがひそかに魂にこだまする、と。


 いまだにも鳴かではあらじ時鳥むらさめ過ぐる雲の夕暮  章義門院小兵衛督

玉葉集、夏、夕時鳥。
生没年未詳、14世紀前後に活躍。伏見院の皇女章義門院に仕え、後に永福門院にも仕えたとされ、永福門院上衛門督と同一人説あり。玉葉集に4首。
邦雄曰く、玉葉集の時鳥は、花鳥の別れ・遅桜・藤・卯の花に続いて、34首がそれぞれに個性的な初音・遠音を聞かせる。驟雨の空の時鳥を耳にとらえようと構えた姿が浮かぶ小兵衛督の歌。下句の「雲の夕暮」に尋常ならぬ工夫が窺える、と。


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