一声はおもひぞあへぬほととぎす‥‥

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−表象の森− 狂水病と朔太郎

今日は朔太郎忌。
萩原朔太郎といえば「月に吠える」、「青猫」あるいは晩年の「氷島」。
白秋に師事した朔太郎が処女詩集「月に吠える」を世に問うたのは大正6(1917)年、彼はこの一作で全国的に名を知られるようになるほどの鮮烈なデビューを果たした。
その序の冒頭近く「詩の本来の目的は、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。」と標榜した朔太郎は序文半ばにおいて、「私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。」と記している。

「狂水病」とは狂犬病の異称だが、発症すると錯乱・幻覚・攻撃などとともに恐水発作の神経症状があることからこの名で呼ばれてもきたようだ。この狂犬病が大正の初め頃には年間3500件もの発症を記録したというから、朔太郎がこれに触れた当時は狂犬病の猛威に世情騒然ともなっていたわけだ。
神経錯乱に陥り狂気悲惨の症状を示してほぼ確実に死に至るという狂犬病は、やすやすと種の壁を越えて哺乳類全般に感染するという点において、このところ話題の狂牛病よりも性質が悪いといえるのかもしれない。

未曾有の狂犬病流行という事象を背景として朔太郎の序文末尾を読むと、奇妙なリアリティとともに結ばれる像も些か異なってくる。
「月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。」


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−05>
 一声はおもひぞあへぬほととぎす黄昏どきの雲のまよひに   八条院高倉

新古今集、夏、郭公を詠める。
邦雄曰く、まだ声も幼い山ほととぎすは、一度中空で鳴いただけでは、それかどうか定かではない。ほととぎすとは想いぞ敢えぬ。まして夕暮、雲の漂う暗い空、姿さえ判然としない。声も姿もおぼろなほととぎすを捉えたところに、かえって新味が生れた、と。


 ほととぎす夢かうつつか朝露のおきてわかれし暁のこゑ  詠み人知らず

古今集、恋三、題知らず。
邦雄曰く、愛する人との朝の別れ、朝露はあふれる涙、気もそぞろ、心ここにないあの暁闇に、ほととぎすの鳴いた記憶があるのだが、後朝の鳥の声の辛さは、殊に女歌に多い。初句切れ、二句切れの悲しくはりつめた呼吸も、また結句「暁のこゑ」の簡潔な修辞も、後世の本歌となる魅力を秘めている、と。


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