いさ知らず鳴海の浦に引く潮の‥‥

Nakahara0509180931

−表象の森− 古層の響きと近代ナショナリズム

昨夜(7/21)は、「琵琶五人の会」を聴きに日本橋文楽劇場へ。
毎年開催され、今年でもう17回目というから平成2(1990)年に始まったことになるが、私が通い出してからでも6年目か、7年目か?
文楽劇場3階の小ホールは、その名の通り小ぶりで席数160ほどだから100名余りも入れば、まあ淋しくはない。このところ降り続いた豪雨も午後からはあがったせいか、開演前から客足は好調と見えて空席は少ない。
大阪やその近郊で活躍する琵琶五人衆のこの会は、薩摩琵琶の中野淀水、杭東詠水、加藤司水と、筑前琵琶の竹本旭将、奥村旭翠で構成されているから、四弦の薩摩と五弦の筑前を聴き比べられる点もうれしいことではある。


今夜の演目は、中野淀水の「河中島」で幕を開けて、
二番手に、杭東詠水が「本能寺」を、
つづいて加藤司水の「小栗栖」と、薩摩が三番並び、
四番手に竹本旭将が「関ヶ原」を、
そして紅一点の奥村旭翠が「勝海舟」で切りを務める。
「河中島」は、信玄と謙信と「川中島」のことだが、これを作した錦心流の祖・永田錦心が他の「川中島」と区別するため「河」の字を用いたらしい。
「小栗栖(おぐるす)」は明智光秀が最期を遂げた所縁の地で、現在の京都市伏見区小栗栖小坂町に「明智薮」と呼ばれる碑がある。
勝海舟」は、江戸城無血開城を決した西郷隆盛との両雄対決の場面。

ざっとした感想だが、この二年ばかり、語りに枯淡の味わいを滲ませるようになった旭将さんは、そのレベルを維持しているように思える。演奏には定評あるものの語りは未だしの加藤君は、演目の所為もあろうけれど、哀調の音色を少しく響かせてくれた。


琵琶の音色は古層の響きをかすかに伝えてはくれるが、四弦の薩摩と五弦の筑前においてその楽曲は些か異なれど、ともに明治の富国強兵盛んな日清・日露を経た世相を反映して、近代ナショナリズムを色濃く蔵している。
平家の諸行無常の響き、滅びゆくものの哀調よりも、むしろ太平記的軍記物、武勇伝の類を題材としたものが多い。要するに、さまざまな地域に埋もれた中世以来の伝承芸能だった琵琶世界も、明治末期から大正期にかけてのナショナリズム的思潮のなかで、近代化の装いを凝らしつつ復活再生させたわけであるが、それは伝統の古い楽器を用いた新しい文化様式だといったほうが相応しいのかもしれない。しかも当時作られた新しいレパートリィ群は、主題も曲想も語りの技巧も似たり寄ったりで、ほぼおしなべてステロタイプ化している。それだけに琵琶の語り芸が本来有していたはずの古層の響きを、現在われわれが聴くことのできる多くの弾き語りからは表面だって聴き取ることは難しい。それは琵琶という楽器そのものがどうしてももってしまわざるをえない音の質として、通奏低音のようにかすかに響き、ナショナリズム化した主題も曲想も語りの技巧をもほんの少しだけ裏切りつつ、聴く者たちにほのかな余韻を残すのだ。
古いものが新しい皮袋に盛られるのは、歴史の常とするところだが、そろそろこの琵琶の弾き語りの世界も、温故知新とばかり、大きく反転させる必要があるのではないかと、私などは頻りに思わされる。決してもういちど新しくなれというのではない、むしろほんとうに古くなって貰いたいものだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−31>
玉津島磯の浦みの真砂にもにほひて行かな妹が触れけむ   柿本人麿

万葉集、巻九、挽歌、紀伊国にして作る歌四首。
邦雄曰く、紀伊国の歌枕玉津島、その玉が「真砂」と響き合って、「妹」がさらに匂い立つ。「匂ふ」には元来、まず第一に草木や赤土などの色に染まる意があった。彼女の触れて通った海岸の砂ゆえに、わが衣も摺りつけて染めていきたいほどだとの、愛情表現であったろう。「いにしへに妹とわが見しぬばたまの黒牛潟を見ればさぶしも」も挽歌四首の中の作、と。


 いさ知らず鳴海の浦に引く潮の早くぞ人は遠ざかりにし   藤原為家

古今集、恋五、六帖の題にて歌詠み侍りけるに。
邦雄曰く、この歌、続古今・恋五の終り、すなわち恋歌の巻軸に置かれた。潮の退くように人の愛情も引いていった。冬の千鳥で歌枕の名の高い鳴海の海が、恋の終幕の舞台になったのもめずらしい例の一つ。初句切れの「いさ知らず」と結句の連体形切れが、心細げに交響して、これまためずらしい細みのあはれを奏でているところ、巻軸歌としての価値があろう、と。


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