夢のうちに五十の春は過ぎにけり‥‥

Kaiba

−表象の森− 「海馬−脳は疲れない」

新潮文庫「海馬−脳は疲れない」は、とにかく解りやすく、面白くてためにもなる。新進気鋭の脳科学者・池谷裕二糸井重里による対談で、脳と記憶の最新の知見に触れながら、老若を問わず読む者をあかるく元気にしてくれる本といえる。初版単行本は糸井重里の「ほぼ日ブックス」で2002年7月刊だが、新潮文庫版はその後の追加対談も増補して昨年6月に発刊、すでに20万部を突破しているというからベストセラーといっていい。
池谷裕二物としては出版のあとさきが逆になったが「進化しすぎた脳−中高生と語る大脳生理学の最前線」(朝日出版社)をたしか刊行直後に読んでいるが、こちらはアメリカのハイスクールの生徒たちを相手にレクチャー形式でディスカッションを交えながら、柔軟性に富んだヒトの脳のメカニズムについて語って、先端の脳科学に触れ得たが、解りやすく面白く読める点では本書が数倍するのは、やはり聞き手・糸井重里の引き出し上手の所為だろう。


あとは煩瑣を省みず長くなるけれど、本書よりアトランダムなピックアップ・メモ
脳がコンピュータと決定的に異なる点は、外界に反応しながらどんどん変容する自発性にある。すなわち脳はその「可塑性」において、経験、学習、成長、老化と、人の本質ともいえる変化の相を生きる。−脳の「可塑性」という事実は、個人のだれもが潜在的な進化の可能性を秘めているということであり、個を超えた「可塑性の普遍性」は科学的に実証されている。
「ホムンクルス」の図、1950年、カナダの脳神経外科ペンフィールドによる、大脳皮質と身体各部位の神経細胞関連図。−好きか嫌いに反応する「偏桃体」と、情報の要不要の判断をする「海馬」とは隣り合っていてたえず情報交換している。−好きなことならよく憶えていて、興味のあることなら上手くやってのけられるのも、脳機能の本性に適っている。−宗教の開祖はみんな喩え話上手なのは「結びつきの発明」に長じているから。−ものや人との結びつきをたえず意識している力、コミュニケーション能力の高い人、一流といわれるような凄い人は、みんな自分流ではあってもお喋り上手で、「結びつきの発明」能力が豊か。−脳自体は30歳や40歳を超えたほうが、むしろ活発になり、独特なはたらきをするようになる。つながりを発見する能力が飛躍的に伸びる。−すでに構築したネットワークをどんどん密にしていく時期であり、推理力も優れている。−ネットワークを密に深めていくことはどんなに年齢を重ねても、どんどんできる。
脳は1000億もの神経細胞の集合体だが、その98㌫は休火山のごとく眠っている。−神経細胞を互いにつなぐシナプスによる網状のさまざまなパターン、その関係性が一つ一つの情報であり、感情をつくり、思考を形成している。−「脳は疲れない、死ぬまで休まない」−夢は記憶の再生であり、夢も無意識も、tryとerrorの繰り返しを果てしなく続けて、いろいろな組み合わせをしている。−脳は刺激がないことに耐えられない。何の刺激もない部屋に二、三日放置されると、脳は幻覚や幻聴を生み出してしまう。−脳は見たいものしか見ない、自分の都合のいいようにしか見ない。
「海馬は増える」−脳はべき乗でよくなる。−方法的記憶=経験メモリーうしの類似点を見出すと「つながりの発見」が起こって、急に爆発的に頭のはたらきがよくなっていく。−「脳の可塑性」、人間の脳の中で最も可塑性に富んだところが海馬。−海馬は記憶の製造工場、海馬の神経細胞は、ほぼ1000万個くらいだが、一つ一つの神経細胞が2〜3万個の他の細胞とつねに連絡を取っている。−人は一度に7つのことしか憶えられない。Working-Memory=現在はたらいている記憶(短期記憶)の限界は7つ程度。−記憶は海馬の中に貯えられのではない、情報の要・不要を判断して、他の部位に記憶を貯える。−いろいろな情報は海馬ではじめて統合される。−脳の神経細胞は死んで減っていく一方だが、海馬では細胞は次々と死んでもいくが、次々と生み出されてもいる。その需給バランス次第で、海馬は全体として膨らんでもいく。−海馬と偏桃体の密接な関係は、好きなものは憶えやすいというように、偏桃体を刺激、活性化すると、海馬も活性化される関係にある。海馬は、偏桃体の感情を参照しながら情報を取捨選択していく。−ある一人の人間がその人である痕跡が残るように「入れ替えをしない構造」=固有性=を脳はつくるのだが、唯一、海馬は入れ替わるという不思議。しかもその海馬が記憶をつかさどるのである。−海馬にとって最も刺激になるのが「空間の情報」であり、絶えず偶発性の中に身を置いている状態は、海馬にとって刺激的であり、神経細胞の死と生が間断なく繰り返される。
クリエイティブな作業は脳への挑戦。−経験をすればするほど飛躍的に脳の回路が緊密に複雑になる。−凡人と天才の差よりも、天才どうしの差のほうがずっと大きい。−刺激を求めてはいるが、同時に安定した見方をしたがるのが脳の習性である。創造的な作業は、画一的なほうへと流れやすい脳への絶えざる挑戦であり、脳の高度化への架け橋となる。
シナプスの可塑性−海馬における可塑性は一つ一つの神経細胞に数万あるというシナプスにある。−ものを憶えるWHATの暗記メモリーとものの方法を憶えるHOWの経験メモリーでは、HOWの経験メモリーが重要。−眠っているあいだに考えが整理される。海馬は今まで見てきた記憶の断片を脳の中から引き出して夢をつくりあげる。朝起きて憶えていられる夢は1%もないといわれるが、夢というのは記憶の断片をでたらめに組み合わせていく作業であり、もし多くの夢を憶えていたら夢と現実の区別がつかなくなって、日常生活に危険が伴う。−睡眠は、きちんと整理整頓できた情報をしっかりと記憶しようという、取捨選択のプロセスなのだ。−眠っているあいだに海馬が情報を整理することを「レミネセンス(追憶)というが、この作業によって、突然、解らなかった問題が解けたり、なかなか弾けなかったピアノの曲が、次の日にすらすらできるようになったりする。
おなじ視覚情報が入ってくるにも拘わらず、認識するためのパターンの組合せが違う。だからそれぞれの人の見方に個性が出るわけだし、創造性が生れる。−認識のための基本パターンは現在のところ500くらいだとされているが、それだけでも、その中から適当に10個組み合わせるだけでも、10の20乗くらいの膨大な組合せが成り立つ。
カート・ヴォネカットが言う「世界は酸化していく歴史である。あらゆるものは酸化していく。」−酸化するプロセスは、「腐る」ということとほぼ同義であり、人間も酸化するプロセスで年を取るのではないか、と提唱されている。−「やる気は側坐核から生れる」が、自分に対して報酬があるとやる気が出るもので、達成感が「A10神経」という快楽に関わる神経を刺激して、ドーパミンという物質を出して、やる気を維持させる。−偏桃体を働かせ、感情に絡むエッチな連想をすると物事を憶えやすい、ということもある。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−30>
 夢のうちに五十の春は過ぎにけりいま行く末は宵の稲妻   藤原清輔

清輔朝臣集、述懐。
邦雄曰く、知命までの歳月はたちまちに過ぎたと言う。清輔の五十年が「夢」であったはずはない。父の顕輔と不和が続き、鬱々たる日々を生きていた。「行く末は」と歌った時、十年先の永万元(1165)年、二条天皇崩御のため折角選進した続詞花集が、勅撰集とはならぬ憂き目に遭うのを、一瞬のうちに予感したのではあるまいか。清輔一代の秀作である、と。


 吹く風の目に見ぬ色となりにけり花も紅葉もつひにとまらで    慶雲

慶雲法印集、雑、寄風空諦。
生没年不詳、14世紀の歌人、二条為世門下で、兼好・頓阿・浄弁らとともに四天王と謳われた。
邦雄曰く、その昔、和泉式部は「秋咲くはいかなる色の風なれば」と歌い、定家は「花も紅葉もなかりけり」と歎じた。慶雲はいずれをも踏まえておいてさっと身をかわし、しかも題のような釈教的臭みもない。飄乎として麗しい一首を創り上げた。好ましい雑の歌として愛誦に耐えよう、と。


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