Fukuzatunasekai1_

−表象の森− 蝉と螢と人間と


長梅雨もやっと明けて、一気に夏本番。
早朝、近くの公園の樹々の下をそぞろ歩くと、ひととき蝉時雨に包まれ、不意に異空間に滑り込んだかと思われるほどだ。
蝉たちのさんざめきは夏の一炊の夢にも似て儚いが、それにしてもこの大合唱の同期現象は造化の奥深さに通じている。


4月頃に読んだのだが、マーク・ブキャナンの「複雑な世界、単純な法則−ネットワーク科学の最前線」(草思社刊)に出てきたホタルのファンタジック・スペクタル。
「パプア・ニューギニア熱帯雨林の黄昏時、10メートルほどの高さのマングローブの樹々が150mほどにわたって川沿いに伸びるのをタブローにするかのように、何百万匹ものホタルが樹々の葉の一枚一枚に止まり、2秒に3回のリズムでいっせいに光を明滅させて、そのきらめきの合間には完全な漆黒の闇に包まれる」という。なぜホタルたちは同時に光を放つことができるのか。この驚くべき壮観な光景も、造化の不可思議、蝉時雨と同様、同期現象のなせるわざだが、これは我々人間における心臓のペースメーカーにも通じることだそうだ。


人工ではない心臓のペースメーカーは大静脈と右心房の境目にある洞結節と呼ばれる部分の働きによるらしい。この心筋細胞の集まりは、心臓の他の部分にパルスを発信し、これが心臓の収縮を引き起こすもととなる。蝉時雨やホタルのファンタジック・スペクタルと同様、厳密に同期した信号を発生させ、それらの信号が各部位の細胞に伝えられたびに、心臓の鼓動が生じているということだ。心臓のぺースメーカーたる洞結節に不調が起これば、心拍は乱れ、たちまちに死が訪れることにもなる。


先に紹介した「海馬−脳は疲れない」でも触れられていたが、最近の脳科学の知見においても、知覚の基本的な働きでは、脳内の何百万もの細胞が同期してパルスを発信させることが不可欠であることが明らかとなっているように、これもまた同様の同期現象ととらえうる訳だが、どうやら、自然界には組織化へと向かうなにか一般的な傾向があるようだと、「スモールワールド」をキーワードに最近のネットワーク科学を読み解き、さまざまな視点から紹介してくれているのが、本書「複雑な世界、単純な法則」だ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−34>
 知らせばやほの三島江に袖ひちて七瀬の淀に思ふ心を   源顕仲

金葉集、恋上、忍恋の心を詠める。
邦雄曰く、「七瀬の淀」は万葉の「松浦川七瀬の淀はよどむとも」等にみる「数多の瀬」を意味し、固有名詞にあらず。ほんの一目の恋に、涙にくれる日々ながら、思いよどんで告げるすべさえ知らぬと悲しみを訴える。「明日香川七瀬の淀」とともに松浦川のほうも歌枕と解する書もあるようだが、この歌、第二句に摂津の歌枕「三島江」が懸詞として現れるから関りあるまい、と。


 きぬぎぬに別るる袖の浦千鳥なほ暁は音ぞなかれける   藤原為家

中院集、元仁元(1224)年恋歌、海辺暁恋。
邦雄曰く、最上川河口の「袖の浦」は、古歌に頻出する「袖」の縁語として、殊に恋歌に愛用された。新古今・恋五巻首の定家「袖の別れ」は、ここに「浦千鳥」となって蘇り、霜夜ならぬ未明の千鳥は忍び音に鳴き、かつ泣く。後朝の癖に「暁は」と念を押すあたりに、為家らしい鷹揚な修辞の癖をみるが、「きぬぎぬ=衣々」と「袖の浦」の縁語は意味深い。


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