わが恋はおぼろの清水いはでのみ‥‥

Geinoumihonichi20

−表象の森− 舞台芸術・芸能見本市から

消費文化批判をしながら、29日もまたぞろ舞台芸術・芸能見本市へ。
いまどきのダンスシーンの思潮や傾向を、たとえ頭で解っているにせよ、観ておくに若くはないと、夕刻より連れ合いも幼な児も伴ってのお出かけと相成った。
やはりお目当ては円形ホール。今回から登場したという「720アワード」と題された公募のコンクールタイプの企画。720秒=12分という時間に、持てるものを精一杯詰め込んだ6人(団体含む)のパフォーマーが競演するというもの。
折角連れ立って来たものの、いざ会場が暗転となり、ノイズにも似た強い音が流れて、演目がはじまると、幼な児には耐えられず早くも固まって泣き出す始末。母親やその仲間が出演している場合は、その苦行にもなんとか耐えられるようになってはきたが、まったく馴染みのない他所様の世界は、まだどうにも受け容れられない様子で、初めの作品の12分で限界に達したとみえて、止むなく連れ合いは館外へと子どもを連れ出した。結局、連れ合いは後の作品をすべて見逃す羽目に。


以下は簡単に印象批評。
1. ダンス 「モスラの発明」 出演−ウラチナ。
一組の男女によるDuoだが、動きはミミックでありつつ器械的に処理されている。二人がunisonで動きながら、時にズレ、ハグレする、その変化をアクセントにして構成されていく。その背後には物語性が浮かび上がるが、私とてそれをしもnonとする積もりはない。だがもうひとつ反転するほどの展開がないのは、どうしても作品を矮小化してしまうだろう。12分でもそれは可能な筈だ。

2. ダンス 「worlds」 出演−〇九
女2と男1、決して絡み合うことなく、ただひたすら葬列のごとく、或いはまったく救いのない難民のごとく、とぼとぼと歩く。悲しみにうちひしがれて、やり場のない怒りを抱いて‥‥。時に、抑えがたい激情が迸り、身を捩らせ、哭く、喚く、また、狂う。それでも、なお、旅は終らぬ、行き着く果ては知らず、やはり、歩き続けねばならない。といった世界だが、延々と変化なくひとつの色で演じ通す。独りよがりが過ぎるネ。

3. ダンス 「handance 開傷花」 出演−伊波晋
Handanceとは、反−ダンスであり、Hand Danceをも懸けた命名かと思われるが、たしかに動きは「手」が主役だ。腕−手−指がしなやかに特異に動く、それだけで一興世界を創り上げようという訳か。だがこのdancer、その意味では体躯に恵まれたとは言い難い。四肢が長い方とは言えそうにないし、掌も小さく指もまた短いほうだろう。それでもHandanceへの拘り止み難くといったところか、ほぼ定位置で、どこまでも「手」を主人に、上体をいくらか伴わせ、延々と演じなさる。こういった拘り方に心動かせたり衝撃を受けたりするような、そんな偏向趣味を、他人は知らす、私はまったく持ち合わせていない。

4. 大道芸 「SOUL VOICE」 出演−清水HISAO芸人
風船の中に全身を入れ込んでしまえるとは、たしかに驚かされた。この人自身の案出かどうかは知らないが、初めて観る者は一様に驚き、おおいに愉しむのはまちがいないだろう。球形の中に人を入れ込んでしまった風船が、いろんな形を採ったり、ジャンプしたり、おそらく懐中電灯をしのばせていたのだろう、胎内から発光したり、とまあいろいろと、此の世ならぬ幻想世界を生み出しては愉しませてくれる。この夜一番の見世物ではあった。

5. 演劇 「ラジカセ4台を用いたパフォーマンス」 出演−正直者の会・田中遊
4台のラジカセから主人公に対して、時に父であっり、母であったり、先生、友人et cetera、さまざまな役で言葉を突きつけ、絡んで、主人公をパニックに陥らせるといった、ちょっぴり不条理劇風のパフォーマンス。こうなってくると、このごろマスコミでも流行りのピン芸人たちの世界と、もう地続きで、境界はすでに無いといっていい。

6. ダンス 「オノマトペ」 出演−村上和司
村上和司は、1988年、近畿大学に創設された文芸学部の一期生で、今は亡き神澤和夫の薫陶を受けているそうな。タイトルの示すように、身体の、動きの、オノマトペを探し、試みるといった趣旨だろうが、まず仮面を着用したこと、そして後半は動きから発語へと転じたことによって、本来の狙いはなんら達して得ていない。ただ客受けのする方向へ流れたという他はない。前日のDance Boxのショーケースでも出ていたが、此方はなお身体への、動きへの拘りのなかで演じられていただけに、私としてはいささか拍子抜けだった。


と、こんな次第だが、ついでに前日観たDance Box ショーケースの出演者たちを書き留めておく。
安川晶子、sonno、j.a.m.Dance Theatre、吾妻琳、北村成美、花沙、クルスタシア、村上和司、モノクロームサーカス、Lo-lo Lo-lo Dance Performance Companyの10組。

こうしてみると、固有名で活動している者の多いことが目立つ。団体名を冠していてもまったく個人同様の場合もある。
この二十数年、ダンス界の際立った現象は、脱カンパニー、ソロ・パフォーマーによる活動が、むしろ主流化してきたことから、特徴づけられるといっていいだろう。
80年代の演劇現象としては、誰もが戯曲を書く時代となり、座付作者を筆頭にして劇団が組まれ、それこそ雨後の竹の子のように小劇団が誕生しては消えてゆくという、溢れるほどに生成消滅を繰り返すようになったことで特徴づけられるが、この現象と軌を一にしたようなのが、ダンスにおける個人活動の主流化現象だ。
一言でいってしまえば、演劇を支える劇団のバブル、ダンスを支える舞踊家バブルのようなものだが、これで片付けてしまっては身も蓋もない。しかし、この変容の背景に経済のバブル現象がおおいに与っていることも指摘しておかねばなるまい。
誰もが容易に座付作者となって劇団を組む、或いは、誰もがソロパフォーマーとして固有名でダンスをする。モノを創る者へ、表現する者へと、出で立とうとするその垣根が低くなったことは、一概によくないとはいえないが、問題はその姿勢、そのあり方だろう。


水は低きに流れるが自然の摂理だが、モノづくりや表現の世界は、低きに流れるに棹さすこと、逆らってあるのが使命とも言い得る筈だが、そんなことをなかなか感じさせてくれないのが、昨今のありようだ。私が前稿で「演劇も舞踊も、――、消費財の一つになってしまった」と記したのは、演劇や舞踊を観る側、享受者にとっての消費財ということではない。演じる側、踊る側、創り手のほうが、表現者たちのほうが、日常の中のもろもろを消費するがごとく、演劇を、舞踊を、消費しているという意味だ。
実際、モノづくりを日常に親しみ楽しみ且つ消費する、さまざまなモノづくり文化が、今日のように巷に氾濫するようになったのも、バブル期に一気にひろがったのではなかったか。その潮流が、若い世代では、演劇や舞踊に、或いは他のさまざまな表現手段へと、なだれ込む動機を形成してきたのだ。若い世代はとりわけエンタティメント志向だ。「よさこいソーラン」などの可及的な全国化ひとつみてもよくわかる。そのエンタティメント志向のモノづくり文化が、最近は幼児領域にまで及んできた。「ゴリエ」のブームはその典型といっていい。私は偶々テレビで「ゴリエ杯」なるものを観て、ほんとに吃驚した。少女世代のコミック・マーケット現象以来のカルチャー・ショックだった。

とまれ、流れに棹さすこと、逆らってあるのは、いつの時代もそうだったとはいえ、いよいよ成り難く困難窮まる。金子光晴に倣えば、私もまた「絶望の精神史」を綴らねばならないのだろうが、私などはとても彼ほどの器ではない。「絶望」を語る資格を前に、絶望とはいいえぬ我れに意気消沈せざるをえぬ己が姿を、じっと耐えるのみか。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−36>
 野島崎千重の白波漕ぎいでぬいささめとこそ妹は待つらめ    覚性法親王

出観集、恋、旅恋。
野島崎−淡路国の歌枕、淡路島北淡町野島の海岸あたり。
邦雄曰く、愛人はほんのかりそめの旅、すぐ帰ってくると思って待っていることだろう。だが「千里の白波」すなわち海上千里を漕ぎ出た身は、南溟をさして、あるいは唐天竺へ行くことになるやも知れぬ。歌が終って後に不安と悲哀の寄せてくるような万葉ぶりがめずらしい。鳥羽帝第五皇子、後白河院の2歳下の同母弟、と。


 わが恋はおぼろの清水いはでのみ堰きやる方もなくて暮しつ   源俊頼

金葉集、恋上、後朝の心を詠める。
邦雄曰く、京は愛宕郡、大原村草生にある小さな泉が「朧の清水」と呼ばれた歌枕で、寂光院のやや西にあたる。岩間洩る水を堰くことも得ぬ。昨夜の逢瀬のあはれを思い、思いあまりつつ一日を暮すと。恋もまた朧、悲しみは言うすべを知らぬ。俊成は後に次の俊頼の作を千載集恋歌の巻首に飾った。「難波江の藻に埋もるる玉堅磐(タマガシワ)あらはれてだに人を恋ひばや」、と。


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