これもやと人里遠き片山に‥‥

Binotiteroune

−表象の森− 美のチチェローネ

八朔、
旧暦ならば新しく実った稲の取り入れの日であり、互いに贈答しあったりの祝い日だが、現在の盆時の贈答習慣である中元とは伝が異なるようだ。

すでに返却期日がきていたヤーコブ・ブルクハルトの「美のチチェローネ」(青土社刊)を駆け足で読む。
ドイツロマン派の19世紀半ばに書かれた、イタリア美術案内の古典的名著の抄訳本だが、その簡潔な文章からブルクハルトの鑑賞を堪能するには、私自身において聖書や西欧史への知があまりに貧しすぎる。
それに加えて、ドイツ文芸学者とみられる編訳者の翻訳が、どうにも逐語訳めいた文章で、こういった美術評論・解説の類においてはいかがなものかと思われる。


たとえば、ラファエロ(1483-1520)とほぼ時を重ね、パルマで活躍したというコレッジョ(1494-1534)の絵について、
「コレッジョはまず、人間の肉体の表面が薄明と反射の中で最も魅力的な光景を呈することを知っていた。
彼の<色彩>は肉体の色の中で完成し、空気と光における現象に関する果てしない研究を前提とする方法によってもたらされる。他の素材を特色づける際に、彼は技巧を凝らさない。全体の調和、移行の快い響きが彼にはもっと切実な問題なのである。
彼の様式の主要な特徴はしかしながら、彼の描く人物像の一貫した<流動性>にある。それがなければ、彼にとって生命も完全な空間性も存在しない。空間性の本質的な尺度は、動く人物像であり、しかも現実の完全な外見とともに動く人物像、それゆえ状況に応じて容赦なく<短縮された>人物像である。彼は先ず彼岸の栄光に立体的に計測可能な空間を与え、その空間を力強く波打つ人物像で満たす。――この流動性はしかしたんに外的なものではなく、それは人物像を内部から貫いている。コレッジョは神経組織のこの上なく繊細な活動を推測し、認識し、そして描く。
大きな線、厳密に建築学的な構図は彼においては問題にならない。雄大な開放的な美についても問題にならない。感覚的に魅力あるものを彼は豊富に提示する。あちこちで深く感じた魂が明るみに出る。その魂は現実から出発して、大きな精神的秘密を開示する。確かに雄大ではあるが、徹底して高貴で感動的で、無限の精神によって貫かれた苦悩の絵が彼にはある。ただ、それらは例外なのである。」


 と長く引用してしまったが、この箇所などは私がまだしもある程度理解しえて、且つ印象深い内容と感じている件りの一例なのだが、美術評論の専門諸氏ならば、もっと直截簡明に本意を伝えてくれるだろうに、と思われてならないのだ。名著として誉れ高いロングセラーだけに惜しまれる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−37>
 いとかくてやみぬるよりは稲妻の光の間にもきみを見てしが    伊勢大輔

後撰集、恋四。詞書に、道風忍びてまうで来けるに、親聞きつけて制しければ、遣はしける。
邦雄曰く、隔てられて逢えぬ恨みであろう。一目見たい、ただそれだけの悲しみを、喘ぐように、緩急強弱巧みに配して、歌う技法は見事だ。道風の歌も、やや離れた位置に入選、「難波女に見つとはなしに蘆の根のよの短くて明くるわびしき」。やや迂遠で真情が見えぬ、と。


 これもやと人里遠き片山に夕立過ぐる杉の叢(ムラ)立    慈円

六百番歌合、夏、晩立(ユウダチ)。
邦雄曰く、俊成判は「右の歌の「これもや」と置ける、心多くこもりて詞をかしく聞え、「杉の叢立」も好もしく見え侍れば、右尤も勝つとすべし」。左は顕昭法師。夕立と叢立の無造作な照応も、直線的な調べも、慈円の持ち味の一つで、華奢流麗に傾くこの時代に、雄々しさはまことに貴重な要素であろう。この年、作者はまだ38歳の男盛りであった、と。


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