更けぬなり星合の空に月は入りて‥‥

Shinriaou

−表象の森− 乾坤一擲の失敗作? 「新リア王」


嘗て旅した下北半島、真夏にもかかわらず、どんよりと曇った鈍い灰色の空の下、もう夕刻に近かったせいか訪れる人もなく、ただここかしこに硫酸ガスを燻らせたさいはての異形の地、恐山の荒涼とした風景も忘れ難いが、その途次に見た六ヶ所村の、広大な自然のなかに忽然と姿を現わした原子力関連施設や石油備蓄コンビナートらが、車を走らせながらどこまで続くかと思われるほどに連なっていた、大自然と先端的文明の不協和音というか、その異様な光景もまた忘れ難い。


その六ヶ所村の光景と大いに関わるのが、「晴子情歌」に続いた高村薫の「新リア王」上下巻、このほどやっと読了したが、第一感、乾坤一擲の失敗作、とでもしておく。
前作では母・晴子と、東大を出た俊才ながら社会からスポイルし、マグロ漁の遠洋航海に暮らす子・彰之との間に交わされる手紙という形で、物語を進行させ、青森から道南・道東を遍歴する晴子の生涯が、戦前の鰊漁風景の活写など、昭和初期の北国の大地の厳しさと、これに抗って生きる人々が織りなす風景が現前され、抒情溢れた一大叙事詩となりえていたが、
本書「新リア王」では、晴子にとって一度きりの過ちの相手で、青森に巨大な政治王国を築き、作者に「現代のリア」と比させた老代議士、すなわち彰之の実の父である福澤栄と、その後曹洞宗の僧侶となった彰之との間に交わされる長大な会話で物語は進行するのだが、各々互いに語りつぐモノローグは観念の空中戦と化し、どこまでもリアリティの希薄なままに、互いに絡まり縺れ合うほどに現前してこない。
高橋源一郎は、朝日新聞の書評で「終結部にたどり着いた時、突然感動がやって来る」と書くが、たしかに父・栄の狂えるリアのごとき集約の一点に、すべては流れ来むがごとき構成ではあるが、その劇的な仮構は、栄が語る戦後政治の膨大で生臭いエピソードの数々も、心の闇を抱え座禅弁道に励む凡夫の彷徨える心を言葉に紡いでいく彰之も、互いの長大なモノローグが観念の空中戦としか読めないかぎり、寒々として虚しい。


作者は「晴子情歌」「新リア王」につづく第三部となるべき世界を、すでに本書に胚胎させ、読者に予感させている。
これまた彰之のなさぬ子・秋道は「新リア王」の昭和62年時点ですでに18歳だが、父母という家族の愛に誕生のはじめからはぐれてしまった孤独な反抗者は、おのれの生そのものを呪いつつ世間に牙を剥きつづけるだろう。その子・秋道と、昭和の60年余を、ひいては日本の近・現代の暗部をひたすら見つめ、おのれの生を生たらしめんと希求する父・彰之との相剋が、どんな世界を切り裂いて見せてくれるのか。あまり期待を膨らませずに待ってみよう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−47>
 更けぬなり星合の空に月は入りて秋風うごく庭のともし火   光厳院

風雅集、秋上、百首の歌の中に。
邦雄曰く、天には銀河の二星に光を添える月、地には秋風に揺らめく庭の篝火。星合の星を殊更に言わず、これに増す光を歌って、七夕の雰囲気を伝える功者の歌いぶり。また、「秋風に動く」とでもあるべきところを、助詞を省いて、動くのは秋風自体とし、燈火の揺れを暗示するのも、風雅調というべきか。初句切れの重い響きもまた格別、と。


 松風の雄琴の里にかよふにぞをさまれる世のこゑはきこゆる   藤原敦光

金葉集、賀、巳の日の楽の破に雄琴の里を詠める。
康平5(1062)年−康治3(1144)年、藤原式家儒学者明衡の子で、式部大輔右京大夫文章博士となって大学頭を務めた。金葉集に2首。
邦雄曰く、保安4(1123)年大嘗会歌合の悠紀方に列した作者は、序破急の破に近江の歌枕、雄琴を風俗歌として詠んだ。上句は徽子の松風、下句は詩経の大序、「治世之安音以楽」に依った。漢詩文で聞こえた人だが、この「雄琴の里」の如く歌才も見える、と。


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