秋吹くはいかなる色の風なれば‥‥

Dsc_002011

−表象の森− 似非箴言


 再会とは、ただ再びまみえるにあらず
 その隠れたる、未だ知らざる處を
 互いに見出さむとするならば
 畢竟、新しき出会いとなるべし。


 遠きも近きもなく
 知友、朋輩はいうにおよばず
 家族といわず、夫婦といわず
 吐く息、吸う息の如く
 時々刻々、日々新たなるをもって銘すべし。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−48>
 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ    和泉式部

詞花集、秋、題知らず。
邦雄曰く、身に沁むとはもと「身に染む」ゆえに、秋風の「色」を尋ねた。「秋風はいかなる色に吹く」とでもあるべきを、逆順風の構成を採ったことによって、思わぬ新しさを添えた。二十一代集に同じ初句を持つ歌は他にない。この作者ならば、青・紅・白とほしいままに色を決め得るだろう、それも格別の眺めだ。しかも疑問のままで終るゆえの深い余情、と。


 秋風の露吹く風の葛かづらつらしうらめし人の心は   九条家

衣笠前内大臣家良公集、恋、寄風恋。
建久3(1192)年−文永元(1264)年、正二位大納言藤原忠良の二男、若くして定家の門弟となり、後に後嵯峨院歌壇の代表的歌人、続古今集の撰者に加わる。新勅撰集以下に118首。
邦雄曰く、「秋風・露吹く風」、「かづら・つらし・うらめし」等、音韻を連綿させ、結句を倒置して、ただならぬ心を巧みに表現している。また、「寄月恋」の題では、「知られじな霞にもるる三日月のほの見し人に恋ひ侘びぬとも」が見える、と。


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