虫の思ひ鹿の鳴く音もふるさとに‥‥

Ohtsu_081


−表象の森− 承前・折口信夫死者の書」と「大津皇子−鎮魂と飛翔」

 想い出の舞台「大津皇子−鎮魂と飛翔」、
その構成は2部8章、これを資料に基づいて以下転載する。
※ 写真はまだ30代だった筆者、場面は「二上山の章−死者と生者の相交」より。


一部<磐余の章>

「刑 死」 ―― 大津皇子、謀反発覚として死を賜う、時に二十四。
 なにもない
 なにもない磐余の地
 空のなかで鳥が死んだ
 黒い獰猛な空から
 黙って 残酷に
 彼の人は堕ちた

「死の相聞」 ―― 書紀に曰く、妃山辺皇女、
    髪をふり乱して、すあしにして奔り赴きて、殉に死ぬ。
 女がひとり、走りきた
 裳裾をひるがえし
 蒼白な面は美しく 昂ぶりは極限にあった
 空の高みで雷鳴が轟く
 悲しみと忿怒の狂気
 彼の人の死に 死をもって相聞した

「挽 歌」 ―― 万葉に姉大来皇女のうたう、
    うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む
 枯れた悲しみの底で 人群れが動く
 野辺の送り
 すべての風景が祈りを捧げる
 忍耐づよく 冷厳に 押し黙り
 ひたすら立ちつくす女


二部<二上山の章> ‥‥ 折口信夫死者の書」より

「岩窟の人」
 常闇の世界
 埋葬された彼の人は
 大地の内蔵の中で
 ゆっくりとしたまどろみをつづける
 生きている死の眠り
 やがて、そのみ魂は
 漆黒の内密性のうちに立ちあがるのだ

「霊のこだま」
 闇い空間に蒼黒い靄の如くたなびくもの
 樹々が呼吸する音に包まれて
 精霊たちが岩窟を満たす
 互いに結ばれた言葉で
 やさしく人馴れぬ言葉で
 彼の人のみ魂と共震する

「幻影的な旅」
 こう こう こう こう
 魂呼ぶ声に誘われて
 不思議な夢の
 冥界への旅だち
 揺りから揺られ
 女がひとり 幻想に舞う

「死者と生者の相交」
 天空の光りの輪が仄かに揺れて
 招来と歓喜
 彼の人にとって おもいびとがそこに在り
 女にとって おもかげびとがそこに在った
 うねり 流れ 交わり
 可視の空間の向こうに見いだす拡がりのなかに
 ともにやすらうのだ

「山越しの阿弥陀
 光り 始原の
 響き 生誕の
 山の端に伸しあがる日輪の想われる
 金色の雲気


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−55>
 武蔵野や草の原越す秋風の雲に露散るゆくすゑの空   俊成女

俊成卿女家集、洞院摂政家百首 眺望。
邦雄曰く、貞永元(1232)年、承久の乱から十余年を閲し、作者も既に60を越えていた頃の百首歌であるが、さすがにあでやかな歌風は衰えず、時雨空を眺めて「雲に霧散る」と表現した。縹渺万里、遙々とした大景を、一首の画布に収めて悠々たる佇まいだ。他に「分けなれし雲のつばさに秋かけて越路の空に雁ぞ鳴くなる」も見え、第二句また秀抜、と。


 虫の思ひ鹿の鳴く音もふるさとに誰がためならぬ秋の夕霧   徳大寺実淳

実淳集。
文安2(1445)年−天文2(1533)年、藤原北家系、藤原実能を祖とし、代々笛を家業とした。従一位太政大臣。家集に実淳集。
邦雄曰く、室町の中期から末期にかけて、徳大寺実淳の和歌執心とその才は隠れもない。「秋の夕霧」も屈折に富んだ技法が見られ、これもまた16世紀前半の特徴の一つであろう。虫の声ならぬ「思ひ」も前代未聞の発想に近い。「しぐれして空ゆく雲に言づてむそなたの山の色はいくしほ」が、家集ではこの歌と並ぶ。この作者の得意とする技法か、と。


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