あはれさもその色となき夕暮の

0412190271

−表象の森− 顕つ/顕れる

「歌詠みの世界」として紹介している塚本邦雄の「清唱千首」では、「顕」という字に送り仮名して「顕つ−タツ」、や「顕れる−アラワレル」の語がよく用いられている。
すでに紹介したなかからざっと列挙すれば
<顕つ>
 「恋い祈ればその面影が水鏡に顕つ」
 「憑かれて物狂いのさまを呈する巫女の姿が、まざまざと顕って凄まじい」
 「切なくきらめく男女の眼が顕つようだ」
 「心に顕つのは春の日の陽炎」
 「秘かに戦慄している作者の姿が顕ってくる」
 「心に願えば俤も顕つ」
 「静かに、現れるように眼に顕つ星は」
 「袖振る人の面影まで顕つ」
<顕れる>
 「その人の姿が面影に顕れて」
 「秋そのものが立ち顕れて」
 「ありありと眼前に顕れるところ」
などで、
おのずと意味は明瞭で、「立つ」や「現れる」と同意だが、「立つ」にせよ「現れる」にせよ、塚本は「きわだって」の意を込めて、その立つ「姿」、現れる「姿」にある種の特権性を付与したいらしい。


ところで、「顕れる」のほうは辞書に「現れる」の項に常用漢字表外音訓として登場するが、「顕つ」は広辞苑にすら出てこない。ならば塚本邦雄の造語かというとそうではなく、稀少ながら世間に流布もしている。「顕つ」でネット検索すれば、書名で「千鳥月光に顕つ少女」や「神顕つ山、立山」などが冒頭に登場するが、これらの用例は塚本の用法にごく近接しているといえよう。


漢字としての「顕」を、白川静の「常用字解」に尋ねれば、
顕〔顯〕−ケン、あきらか・あらわれる−は会意。もとの字は顯に作り、 ?と頁とを組合せた形。頁は頭に儀礼用の帽子をつけて拝んでいる人を横から見た形。?は日−霊の力を持つ玉の形−の下に糸飾りを白香(シラカ)−麻などを細かくさいて白髪のようにして束ねたもの−のようにつけて神霊の憑りどころとして用いるものである。?は玉を拝んで神降ろしをしている人の姿で、それに対して神は玉に乗り移り、幽の世界—霊界−から現世に顕(タ)ち顕(アラワ)れるのである。神霊の現れることを顕といい、「あらわれる、あきらか、あらわに、いちじるしい」の意味となる。のちに顕の形声の字として作られたのが現であろう。
用例には、顕現/顕彰/顕著/顕微/幽顕−有形と無形、また幽界と顕界、あの世と此の世、etc.
などとあり、「顕」の形声字としてのちに作られたとされる「現」においては、「神霊の現れること」という「顕」本来の言霊としての俤は遠く稀薄になってしまっている。


「隠れたる本然のきわだって現れるさま」をいうに、あえて現行辞書に登場もしない古用の「顕つ」を頻出させる塚本邦雄の用法には賛否も分かれようが、われわれの表象作業の現場においては、この「顕つ/顕れる」の語法がいたって有効なのだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−63>
 あはれさもその色となき夕暮の尾花がすゑに秋ぞうかべる  京極為兼

風雅集、秋上、秋の歌の中に。
邦雄曰く、三夕の寂蓮を髣髴させる第二句が「夕暮の尾花」を功者に表現している。更に、定家も顔色無しの大胆な修辞「秋ぞうかべる」が、この一首を凡百の尾花詠から際立たせた。同じ秋上、進子内親王の「秋さむき夕日は峯にかげろひて丘の尾花に風すさぶなり」は、清楚でストイックな叙景で、為兼の歌とは対照の妙をなし、これもまた捨てがたい、と。


 袖濡らすほどだにもなし朝顔の花をかごとのあけぼのの露  後花園院

後花園院御集、上、御独吟百首、恋二十首、白地恋。
邦雄曰く、後朝の恨みを朝顔の朝ひとときの儚さにかこつけて、その託言の涙を第一・第二句で控えめに表現した。婉曲かつ優雅を極めた一首である。二句切れの後の、吐息をつくような間も功を奏した。文明元(1469)年、崩御の前年の50歳の百首歌。「たのめただ鴛鴦(オシ)の衾(フスマ)のうらもなく契り重ねる池の心を」は「契恋」の題。15世紀後半における技巧の一典型か、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。