眺めやる心もたへぬわたのはら‥‥

0511271091

−世間虚仮− 「一命を副えてお願い致します」


全国にひろがった一連の必修科目の履修漏れ騒ぎのなか、10月30日、自殺した茨城県立佐竹高校の校長が書き残した遺書の一部が公開された。
文中、「生徒に瑕疵はありません。生徒に不利益にならない御処置をお願い申し上げます。」としたため、末尾に、「右願い、一命を副えてお願い致します。」と結ぶ。
死にゆく者の存念のほどを如何とも推し量りがたいが、孤影悄然の58歳、まことに痛ましいかぎりだ。
せめてあと二日、いや24時間で充分だったろう、政府や国会まで巻き込んだ騒ぎの成り行きを、ひたすら心沈めて眺めおれば、負うべき責めはなお残るとはいえ、命を賭してまで購うには至らなかったろうに。遺族の無念を想えば言葉も見つからず、不条理きわまりないものがある。


この一者の死を無為のものにしてはならない、と思う。
そもそも履修漏れという醜態自体、壊疽のごとく長年かけて高校教育を蝕ばみその病巣をひろげてきたものであまりにも根深い。教育の本然から遠く功利に奔る腐りきった教育現場のなかで、ずっと口惜しい想いを噛みしめながら、日々抗いつづけ、生徒達との接触のなかでささやかなりとも小さな灯を見出だしていこうとしてきたにちがいない彼は、そんな腐海に自らの死をもって一石を投じたかったのかもしれないのだ。
県教委も文科省も、この重い死に対し、なにをもって報いるべきか。
いまのところ、教育を言挙げするお上からマスコミにいたるまで、或いは教育評論家など諸々の輩も、この死に対し正面から向き合った発言はまったく見あたらない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−85>
 袖の上にかつ白露ぞかかりける別るる道の草のゆかりに  藤原元真

続後拾遺集、離別、遠く罷る人に衣遣はすとて。
邦雄曰く、別れの涙袖をひたす趣き、それを秋の白露、すなわち「草のゆかり」とするところ、恋歌の後朝とは分かつ。元真集には同題・類題で十首近く見え、「道露は払ふばかりの唐衣かけてもうすき心とな見そ」「別れてや思ひ出づやと朝ぼらけ露消ながらも濡るる衣ぞ」等、露に寄せて心を盡した歌が多い。後拾遺以後25首入選。三十六歌仙の一人、と。


 眺めやる心もたへぬわたのはら八重の潮路の秋の黄昏  源実朝

金槐和歌集、秋、海のほとりをすぐるとてよめる。
邦雄曰く、同題2首、先の一首は「わたのはら八重の潮路に飛ぶ雁のつばさの波に秋風ぞ吹く」。「つばさの波」あたりに、実朝には珍しい技巧を感じる。一方「秋の黄昏」は苦く鋭く、殊に「心もたへぬわたのはら」の口疾な表現は、二十余りの若者の切羽詰まった心を、如実に写している。下句の体言重畳も、息苦しくなるところを、見事安らかに収めた、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。