忘れじな難波の秋の夜半の空‥‥

Sekainosyuuen

−表象の森− 文明崩壊は避けられぬか

ジョエル・レヴィ著「世界の終焉へのいくつものシナリオ」を読んだ。
人類の高度文明による生態系や気候変動などさまざまな異変・破壊から、津波や海面上昇などの風水害や超火山の爆発まで、現在考えられ得るカタストロフィについて、よく個別具体的、網羅的に丁寧に説かれ、読む者にその危機の全体像を結んでくれるという意味で良書といえよう。

天文学者海部宣男は10/1付毎日新聞の書評で、「本書がこれまでの類書と異なるのは、文明活動による危機だけでなく、生活を脅かすレベルから地球的破滅に至る大災害まで、考えられる脅威を徹底的にリストアップし、検証していることである。大項目は、ナノテクや新病原菌など科学技術の暴走、テロと戦争、人類が引き起こす生態系の破壊、温暖化と気候の大変動、地球・宇宙規模の天変地異。それらをさらに具体的可能性に分けて検討する。個々の議論だけではわからない人類と地球生命の将来が、全体的に見えてくる仕組みである。さらに丁寧にも、脅威ごとに過去の発生例を挙げ、将来の可能性を調べ、最後に評価を下す。(1)発生の可能性、(2)発生した場合のダメージ度、(3)その二つを掛け合わせた総合的危険度で、0から10までの数値評価を示すのだ。まだ科学的調査が進んでいなかったり、確率的にかわからないこともたくさんあるから、最後は著者のエイヤの危険度評価ではある。荒っぽいが、わかりやすい。そして数値を並べてみれば、ああやはり、人類自身の活動こそが差し迫った脅威という結論になるのだ。これだけの事実を集めた努力、押し寄せる深刻な脅威にくじけず分析評価をやりとおした著者の果敢さに、敬意を表しておこう。人類文明がいま自分と子孫に対して何をしているのかをおぼろげにではあるがさらけ出し、まだわからないことがいかに多いかも総合的に示した」といい、「人類のリスク概論である。」と紹介している。

本書において著者が、総合危険度で最高の7という評価を下すのは、超火山の爆発という自然災害もあるにはあるが、その多くは人類の文明が引き起こしつつある数々の自然破壊の脅威においてである。高度資本主義下の大量消費はもはや持続不可能となりつつあるが、エネルギーや新物質の大量放出は、大気圏においても海や陸においても、エコシステムの破壊を確実に進め、世界的飢餓、野生生物たちの死滅、地球温暖化などによる複合的な効果が、遠からず文明社会の崩壊につながると予測され、さらには加速する温暖化傾向が大きな気候変化の引き金にもなり得るという。
「もう手遅れになりかかっている」、「人類が起こしつつある地球環境変化の傾向は、もう当分止められないのではないか」と著者は言うが、そうかもしれない、否、早晩きっとそうなるにちがいない。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−95>
 沖つ風吹くかと聞けば笹島の月に磯越す秋の浦波  中臣祐臣

自葉和歌集、秋上、永仁五年に名所百首よみ侍りしに、月。
生年未詳−康永元(1342)年、代々、春日大社の摂社春日若宮社の神官の家系。父は祐世。伯父祐春の養子となる。子の祐任も同社神主で、風雅集に入撰した歌人。作歌には極めて熱心で家集「自葉集」がある。新後撰集初出(よみ人しらず)、勅撰入集は10首。
邦雄曰く、14世紀前半の中臣祐臣「自葉集」には、処々に二条為世と思われる合点あり、石見の名所笹島のこの歌もその一つ。「聞けば」に対応する答えは「浦波」で受ける呼吸など、心なしか二条流とも感じられる。合点歌今一つ、「出でそむる月のあたりを絶え間にて光に晴るる嶺の秋霧」も、こまやかな観照を言葉に映して秀作である、と。


 忘れじな難波の秋の夜半の空異浦(コトウラ)にすむ月は見るとも  宜秋門院丹後

新古今集、秋上、八月十五夜和歌所歌合に、海辺秋月といふことを。
邦雄曰く、源三位頼政の姪にあたる丹後は、九条兼実の女、後鳥羽院中宮任子に仕えた。彼女が「異浦の丹後」の雅称を得るゆかりは、この建仁元(1201)年秋の撰歌合の作品にあった。異郷の海辺にあって美しい月を眺めようとも「忘れじな」の、尋常で情を盡した調べが、歌人たちにアピールしたのであろうが、良経・定家・俊成女との技巧とは分かつものがある、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。