聞きわびぬ紅葉をさそふ音よりも‥‥

20060717170816

−表象の森− 北斎の「べろ藍」

晩年の「富嶽三十六景」などで大胆なほどに多用された北斎の藍刷り。
通称「べろ藍」と呼ばれたその深みのある藍色の顔料は「プルシャンブルー」といい、そもそもはドイツで生まれたそうな。
「べろ藍」の「べろ」はどうやらベルリンの訛ったものらしい。「プルシャン」はプロシアからきている。
この顔料がドイツで生まれたのが1704年頃とされ、1世紀余を経て日本にも長崎を通して輸入されてくるようになる。
この新しい「青」をいちはやく、しかも斬新なまでに大胆に採り入れたのが北斎であり、「東海道五十三次」の安藤広重らの浮世絵だ。
時に1867(慶応3)年のパリ万博では、彼らの浮世絵が100枚ほども展示され、ヨーロッパにおけるジャポニスムブームは一気に過熱する。
ドイツで生まれた「べろ藍」が、ジャパンブルーやヒロシゲブルーと呼ばれ逆輸出、以後、日本の青として広く海外に知られ定着していった訳だ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−40>
 聞きわびぬ紅葉をさそふ音よりも霙ふきおろす嶺のこがらし  飛鳥井雅世

雅世御集、永享9(1437)年6月、春日社百首続歌、霙。
邦雄曰く、散紅葉をふきおろす風はすでに過去のものであるが、一首の全面にその色と、なお微妙枯淡な葉擦れの音を感じさせ、しかも現実には、冷ややかな霙の粒を凄まじく吹きつける、山頂からの木枯し、技巧を盡した一首の二重構成は、さすが名手、雅経七世の孫と頷くふしも多々ある。新続古今集すなわち最後の勅撰集選者。15世紀中葉62歳で他界、と。


 夜もすがら冴えつる床のあやしさにいつしか見れば嶺の白雪  越前

千五百番歌合、九百二十三番、冬二。
邦雄曰く、新古今集に7首初出の、後鳥羽院歌壇の作者であるが、詠風には宮内卿や俊成女のような鮮麗な色彩はなく、おとなしく優雅だ。第三句「あやしさに」までの緩徐調、まさに王朝女人の動きを見る感あり。第四句も同じく歯痒いほどの反応。番は二条院讃岐の「うちはへて冬はさばかり長き夜をなほ残りける有明の月」で季経判は越前負。持が妥当、と。


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