軽の池の入江をめぐる鴨鳥の‥‥

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−世間虚仮− ネパールにPKO

国連の安保理が23日、「UNMIN−国連ネパール政治支援団」を設立、派遣する決議案を全会一致で採択した、という。
10年余続いてきた内戦状態も、昨年11月の和平協定で終止符がうたれ、政府軍とマオイスト双方が、国連の監視のもと武器を拠出することに合意しており、今年6月までに制憲議会選挙も行われる予定だが、これらを支援するPKOがいよいよ動き出すわけだ。
国連によるPKO派遣要員は総勢186名、任期は1年とされているが、要請を受けた日本政府は平和維持活動(PKO)協力法に基づき陸上自衛官5〜10人規模で派遣する方針を固めた、ともいう。
安倍政権下で年初早々、積年の悲願であった庁から省への昇格を果たした防衛省の、小規模とはいえ初の海外派遣となれば、関係部局においては些かなりとも色めき立っていようかと想像されるが‥‥。


それはさておき、貧困家庭の少女たちがわずかなカネで売買され、インドの売春宿で働かされている、その数が毎年5000人とも7000人ともいわれる国内事象のこと。そのネパールに民主化が進み、昔日の平穏さがもどり、かような悲惨が決して起こらぬように、と切に望みたいもの。


ポカラの岸本学舎に通ってくる子どもたちも、6年間の課程を終えて無事卒業に至る子どもたちは少ないと聞く。授業も教材も制服もすべて無償で提供しているにもかかわらずだ。みんな家庭の事情とやらで志なかば泣く泣く挫折していくのだが、とくに女児の場合ははなはだしいとも。


観光産業が頼みのネパールにおいて、内戦に明け暮れた10年余のツケはあまりに大きい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−46>
 み狩野はかつ降る雪にうづもれて鳥立ちも見えず草かくれつつ  大江匡房

新古今集、冬、京極関白前太政大臣高陽院歌合に。
邦雄曰く、歌合主催者は道長の孫師実、題は鷹狩りならぬ「雪」。時は寛治8(1094)年、匡房は53歳の秋8月19日。判者は源経信。番は左が伊勢大輔の女筑前の「踏み見ける鳰のあとさへ惜しきかな氷の上に降れる白雪」で右匡房の勝。筑前の歌もなかなかの出来映えだが、判者は「鳰(ニオ)の心をば知りがたうや」と妙な難をつけて負にした。持が妥当だろう、と。


 軽の池の入江をめぐる鴨鳥の上毛はだらに置ける朝霜  藤原顕輔

左京太夫顕輔卿集、長承元(1132)年十二月、崇徳院内裏和歌題十五首、霜。
邦雄曰く、大和国高市郡大軽の辺りに、その昔軽の池はあったと伝える。最古の市という軽の市も懿徳帝の軽境岡宮も、この歌枕の近辺にゆかりを持つのであろう。なによりも「鴨鳥の上毛」とこまやかに響き交わす佳い地名ではある。うっすらと斑に霜の置いている鴨、雪中のそれ以上に寒さが身に沁む。藤原基俊没後の12世紀中葉、歌壇の覇者となる、と。


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