わが園に梅の花散る‥‥

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

−表象の森− 熊野純彦の「西洋哲学史

良書である。著者独特の語り口がいい。
――やわらかな叙述のなかに哲学者たちの魅力的な原テクストを多数散りばめつつ、「思考する」ことそのものへと読者を誘う新鮮な哲学史入門――と、扉にうたわれるように、採り上げられた先哲者たちの思考を、著者一流の受容を通して、静謐な佇まいながらしっかりと伝わってくる。
岩波新書の上下巻は、「古代から中世へ」、「近代から現代へ」とそれぞれ副題された哲学史、著者自らがいうように「確実に哲学そのもの」となりえていると思われる。
折にふれ再読を誘われる書。その章立ての構成を記しておこう。


「古代から中世へ」
1−哲学の資源へ
  「いっさいのものは神々に充ちている」−タレスアナクシマンドロスアナクシメネス
2−ハルモニア
  「世界には音階があり、対立するものの調和が支配している」−ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
3−存在の思考へ
  「あるならば、生まれず、滅びない」−パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
4−四大と原子論
  「世界は愛憎に満ち、無は有におとらず存在する」−エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
5−知者と愛知者
  「私がしたがうのは神に対してであって、諸君にではない」−ソフィストたち、ソクラテスディオゲネス
6−イデアと世界
  「かれらはさまざまなものの影だけを真の存在とみとめている」−プラトン
7−自然のロゴス
  「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」−アリストテレス
8−生と死の技法
  「今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように」−ストア派の哲学者群像
9−古代の懐疑論
  「懐疑主義とは、現象と思考を対置する能力である」−メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義
10−一者の思考へ
  「一を分有するものはすべて一であるとともに、一ではない」−フィロンプロティノス、プロクロス
11−神という真理
  「きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る」−アウグスティヌス
12−一、善、永遠
  「存在することと存在するものとはことなる」−ボエティウス
13−神性への道程
  「神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる」−偽ディオニソス、エリウゲナ、アンセルムス
14−哲学と神学と
  「神が存在することは、五つの道によって証明される」−トマス・アクィナス
15−神の絶対性へ
  「存在は神にも、一義的に語られ、神にはすべてが現前する」−スコトゥス、オッカム、デカルト


「近代から現代へ」
1−自己の根底へ
「無能な神の観念は、有限な<私>を超えている」−デカルト
2−近代形而上学
  「存在するすべてのものは、神のうちに存在する」−スアレス、マールブランショスピノザ
3−経験論の形成
  「経験にこそ、いっさいの知の基礎がある」−ロック
4−モナド論の夢
  「すべての述語は、主語のうちにすでにふくまれている」−ライプニッツ
5−知識への反逆
  「存在するとは知覚されていることである」−バークリー
6−経験論の臨界
  「人間とはたんなる知覚の束であるにすぎない」−ヒューム
7−言語論の展開
  「原初、ことばは詩であり音楽であった」−コンディヤック、ルソー、ヘルダー
8−理性の深淵へ
  「ひとはその思考を拒むことも耐えることもできない」−カント
9−自然のゆくえ
  「私はただ私に対して存在し、しかも私に対して必然的に存在する」−マイモン、フィヒテシェリング
10−同一性と差違
  「生命とは結合と非結合との結合である」−ヘーゲル
11−批判知の起源
  「かれらは、それを知らないが、それをおこなっている」−ヘーゲル左派、マルクスニーチェ
12−理念的な次元
  「事物は存在し、できごとは生起して、命題は妥当する」−ロッツェ、新カント派、フレーゲ
13−生命論の成立
  「生は夢と行動のあいだにある」−ベルクソン
14−現象の地平へ
  「世界を還元することで獲得されるものは、世界それ自体である」−フッサール
15−語りえぬもの
  「その書は、他のいっさいの書物を焼きつくすことだろう」−ハイデガーウィトゲンシュタインレヴィナス


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−62>
 心あらむ人に見せばや津の国の難波のわたりの春のけしきを  能因

拾遺集、春上、正月ばかりに津の国に侍りける頃、人の許に言ひ遣はしける。
邦雄曰く、摂津の昆陽、古曽部あたりには、20代半ばで出家して以来、能因が居を定めていたところだ。鴨長明はこの一首を、無名抄に「能書の書ける仮名の「し」文字の如し」と評した。書に堪能な人の筆法に似て、さして目に立つ技巧も見所もないのに、その自在なのびやかな姿は類がないとの意である。詞書の「人」こそ「心あらむ人」だろうか、と。


 わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも  大伴旅人

万葉集、巻五、雑歌、梅花の歌三十二首。
邦雄曰く、天平2(730)年正月13日に、当時65歳の旅人の家の宴に、主客が園の梅花に題して歌ったという名文の序あり。32首中、主人のこの二句切れの燦然たる一首が、あたりを払ふ美しさだ。以前にも以後にも類歌は多いが、調べが比類を絶する。当時の最も新しい「和漢洋才」の一典型。筑紫太宰府にあり、逸速く漢詩を体得している証歌であろう、と。


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