梅の花ただなほざりの袖の香に‥‥

0511290431

−世間虚仮− 祝祭空間としての選挙

選挙が近い。戦後の昭和22年から数えて16回目となる統一地方選挙だ。
東京の都知事選には、前宮城県知事の浅野史郎が関係者をやきもきさせた挙げ句やっと出馬を表明。後出しジャンケンと揶揄する向きもあるが、決意に至るまでの心の揺れはかなり率直に表れていたとみえる。これを追ったマスコミの過度の露出は計算外の功を奏して、三選をめざす石原慎太郎の対抗馬に躍り出た感がある。
先に表明した黒川紀章の出馬宣言には唖然とさせられた。慎太郎の三十数年来の親友だと言い、「彼の三選を阻止し、花道をつくってやる」と曰ったのには、世界に冠たる建築家として一芸に秀でた者の、風狂心や諧謔精神からならば喝采を贈りたいところだが、それが真っ向大真面目なだけにとても正視に耐えないものがあった。
共産党が推す元足立区長の吉田万三もいて、オリンピック招致から格差や福祉と争点にもこと欠かないから、都民の関心も高まるだろう。
おまけに宮崎県知事となったそのまんま東ブームがなお去りやまぬまま選挙本番へと突入しそうだから、東京以外の各地方選挙へも波及、相乗効果ともなって全国的に少なからずヒートアップするかもしれぬ。
私の生まれ育った西区においても波乱含みの波風が立つ。ひょっとすると異変が起こるかもしれない。
大阪市議選だが、定数は2で、現在はどちらも自民。9期という長きを務めあげた古参がやっとこさ引退して、二世候補が名のりをあげる。
もう一人は前回新人で当選した若手だが、この人、4年前は自民ならぬ自由党推薦だったのに、当選してしまうと、会派も組めない一匹狼は仕事もできないと、ちゃっかりさっさと自民へと鞍替えした。どちらの候補も30代半ばだが、このあたりの世代は機を見て敏なのか利に聡いのか、いまどき転向論など遠い過去の遺物と百も承知だが、六十路の私などにはどうにも腹ふくるるわざと映る。
自民独占の2議席に、共産党は世代交代と新人候補を出す模様だが、これだけでは波乱含みとはいえず無風選挙となること必至のところへ、「こんなの放っとけない」と、御年60歳になる婦人が手を挙げた。団塊世代のオバチャンパワーであるが、この人、私の旧知の友人の夫人だから、此方も「放っとけない」始末になりそうで心落ちつかないものがある。
権力ゲームの「権力」のほうにはなんら関わり合いたくない私だが、「ゲーム」に遊ぶ風狂の心はなお消えやらぬのも私である。この「ゲーム」はその一回性において、河原者のそれと相い似たものだから、春の陽気にも誘われて気もそぞろと、なかなか始末に負えないのだ。


戦後60余年、統一地方選挙投票率の推移をひさしぶりに眺めてみる。
昭和22年の第1回、知事−71.85%、都道府県議−84.55%、市区村長−72.69%、市区村議−81.17%
昭和26年の第2回、知事−82.58%、都道府県議−82.99%、市区村長−90.14%、市区村議−91.02%
昭和30年の第3回、知事−74.85%、都道府県議−77.24%、市区村長−83.67%、市区村議−80.99%
と、総じて朝鮮動乱の翌年にピークをなして、1回目と3回目はほぼニアリーといってもいいだろう。昭和34年の第4回はもう一度小幅に上げて、それ以降は低落曲線を描いてゆく。前回の平成15年は軒並み50%台だ。


権力ゲームたる選挙もまた一種の通過儀礼にはちがいない。それは選挙の洗礼を受ける候補者にとっても、これを選出する県民・市民にとってもご同様だ。全国津々浦々、あげて通過儀礼とあらばこれまた祝祭空間と化すものだが、昭和20年代、30年代、そのマグマは熱くとぐろを巻いていたのだろう。あるいはおしなべて誰もが見えぬ先を直視したかったのだろう。
「見るほどのことは見つ」と発して瀬戸内の海へと身を投じたのは、平家物語平知盛だが、取り返しのつかぬ十年を経てきたこの平成の御代に5割台の投票率は、見るほどのことを誰もが見えているとも思えぬし、見えぬ先に誰もが望みも潰えてしまっているとも思えぬ。いやむしろ、宮崎駿の世界を評して村瀬学が用いた「腐海」のイメージのごとく、われわれの棲む此の世もすでに「腐海」と化しているゆえに、視覚は奪われもはや見ることなど叶わず、ただ皮膚感覚に任せ漂うしかないというのが、現実の似姿なのかもしれぬ。
権力サイド、既存勢力の連中にとっては、選挙という権力ゲームが過熱し祝祭化するなど誰も望まない。投票率など低迷していてこそ万事好都合、彼らの安泰を約束してくれる。大半の無党派層と呼ばれる人たちがこぞって投票に行くなどと、昔の「ええじゃないか」ではあるまいに、そんなお祭騒ぎなどもってのほかなのだ。
腐海腐海のままに、澄まず清めず、かといって死の海とならぬように、だ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>
この「清祥千首」シリーズは、冬120首をすべて記して、やっと2度目の春を迎える。

<春−61>
 梅の花ただなほざりの袖の香に飽かぬ別れの夜半の山風  藤原秀能

如願法師集、春日詠百首応製和歌、春。
邦雄曰く、建保4(1216)年、秀能32歳壮年の歌。恋の趣濃厚で、花と人との重なりあう味わいは格別。武者歌人らしく、調べが清冽で、速度のある下句、切って捨てたような結句が印象的だ。彼は同じ百首の中の桜も「来ぬ人を明日も待つべきさむしろに桜吹きしく夜半の山風」と相聞歌風に仕立てた。多情多感な青年であり、後鳥羽院の寵を一身に集めた、と。


 さ夜ふけて風や吹くらむ花の香のにほふ心地の空にするかな  藤原道信

千載集、春上、題知らず。
邦雄曰く、宵闇に作者は端座瞑目する。遙かな闇に満開の梅が枝を差し交わしているのだろう。その花々が風に揺れ、香りが流れる。座にあって、作者はその気配を鋭く感知する。太政大臣為光の子、歌才に恵まれながら、10世紀近く、22歳で夭折した。「いみじき和歌の上手にて、心にくき人にいはれ給ひしほどに、うせ給ひにき」と大鏡は伝えている、と。


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