花鳥の春におくるるなぐさめに‥‥

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Information <連句的宇宙by四方館>

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの−山頭火>

−表象の森− 「襲の色」談義
春の襲には、「紅梅」の表・紅梅−裏・蘇芳、「桜」の表・白−裏・赤花、「桜萌黄」の表・萌黄−裏・赤花、「柳」の表・白−裏・薄青など、春に相応しく華やいだ爽やかな印象が強い。
ところが、夏の襲となると、「卯の花」表・白−裏・青(現在の緑)のように涼感を誘う色目もなくはないが、総じて、「菖蒲」の表・青(現在の緑)−裏・濃紅梅、「蓬」の表・淡萌黄−裏・濃萌黄、「若楓」の表・淡青−裏・紅、「撫子」の表・紅−裏・淡紫など、現代人の感覚からすれば些か重く、夏炉冬扇ではあるまいに、暑苦しさをいや増すではないかと首を傾げたくなるような感がある。
秋の襲では、「紅葉」の表・赤−裏・濃赤はともかく、「萩重」の表・紫−裏・二藍、「龍胆」の表・淡蘇芳、「菊重」表・白−裏・淡紫、「紫苑」の表・淡紫−裏・青など、紫系が多用されているが、
冬においては、「枯色」の表・淡香−裏・青、「枯野」の表・黄−裏・淡青、「雪の下」の表・白−裏・紅梅、「氷重」の表・烏ノ子色−裏・白など、白や黄系が座を占め、冷え冷えとした感がぐんと強まる。「氷」にいたっては、表裏ともに白を配するという徹底ぶりだから、もう凍てつくばかりだ。
こうしてみると、夏には寒色を、冬には暖色をと、少しでも暑さ寒さを和らげようとする合理的な配色感覚とは無縁にあって、どこまでも自然に同化し、季節の色のなかに棲まおうとしてきたのが、この国の古人たちの色彩感覚であったかとみえる。
風雅・風流の習い、粋の心とは、むしろさきに引いた夏炉冬扇の痩せ我慢と表裏一体化していると見たほうが、どうやら実相に近いといえそうだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−51>
 花鳥の春におくるるなぐさめにまづ待ちすさぶ山ほととぎす  花園院

風雅集、夏、四月のはじめによませ給ひける。
邦雄曰く、行ってしまった春の花鳥にとりのこされて、その寂しさを紛らわそうと、今か今かと初音のほととぎすを待ちこがれる。季節に懸け、花鳥に盡す心映えは、たとえ習慣化していた作の中とはいえ、まだ実感を伴って迫ってくる。風雅・夏の時鳥詠38首の冒頭に置かれた、まだ声とはならぬ、憧憬の時鳥。第二・三句のこまやかな味わい、と。


 をりしもあれ花橘のかをるかな昔を見つる夢の枕に  藤原公衡

千載集、夏、花橘薫枕といへる心をよめる。
保元3(1158)年〜建久4(1193)年、藤原北家右大臣公能の4男、従三位左近中将に至るも36歳で早世。俊成・慈円・寂蓮・定家ら御子左家歌人と交わり、「三位中将公衡卿集」を残す。
邦雄曰く、昔を思うよすがに馨る橘の花、「昔の人の袖の香」と、特定の一人に限定せず、来し方、あるいは知らぬ過去までも含めた永い時間を暗示する。本歌取り秀作の一つ。初句六音、結句に至るに従って、次第に鎮まり、かつ朧になるのも巧みな構成だ。結句は初句に環る。作者は歌人藤原公能の子、俊成の妹を母とし、惜しくも35歳で早逝、と。


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