道の辺の草深百合の花咲(え)みに‥‥

Ichibun9811270521

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの−山頭火>

世間虚仮− Good-bye

今日で配達暮しともサヨナラだ。
昨年の7月から、7ヶ月続けたが、好事魔多し、肩の故障で3ヶ月休み、今月復帰してみたものの、新しく受け持った区域がこの身にはハードすぎてのこの始末。
その休みの間に選挙が絡んだから、そうそうゆっくりした訳ではないのだが、配達の仲間からはきっと「優雅なご身分の野郎だぜ」とくらいに思われていることだろう。
向後、おそらく、この世界に舞い戻ることはあるまい。
一期一会とはいうものの、この稼業ほど人の出入りの激しいものはないだろう。なにしろ一日来たかと思えば、明くる日には姿を見せない者もいる始末だ。三日で辞める者、はたまた一週間続かない者と、たかが1年足らずの間に、いったい何人の人間が行き交ったことか。
この場所で、知り初めた人々とも、もう逢うことはあるまい。日々過ごすリズムがことごとく異なれば、まず行き会うことはないものである。なにかと言葉を交わしあった者も、ついぞ物言わぬままに打ち過ぎた者も、これでサヨナラだ。


何度も自殺を試みた挙げ句、玉川上水に入水心中、この世とサヨナラした太宰治の遺作は「グヅド・バイ」だったが、自ら生を断つサヨナラ劇は、それぞれ個有の必然があろうとも、遺された者たちにとっては一方的に「断たれる」がゆえに、これほど劇しく迷惑千万なものはない。
この国には、自死の美学などと、都市型町民なる市民勢力が大きく台頭してくる近世封建社会幕藩体制のなかで、行き場を失ったサムライたちの武士道として止揚されてきた傾向があり、「死者を鞭打つべきでない」との思潮もまた強いが、自ら身命を「断つ」ほうの潔さなど、「断たれる」ほうの未練や執着の劇しさに比すれば、決して称揚されてはなるまいと私は思う。
戦後初めての現職閣僚の自殺と、いま世間を騒がせている松岡利勝農相の自死も、いずれ自身にも司直の手が伸びるものと予感しつつ、これを未然に防ぐべきものであったろうし、本人の自覚としては「もののふ−武士道」の系譜に列なる者としての最期を意識したものとみえるが、彼の死の翌日、どうみても「後追い心中」としかみえない、すでに検察の事情聴取を受けていたという「緑資源機構」ゆかりの山崎某の飛び降り自殺も重なって、誤解を恐れず言わせて貰えばただの「臭いものに蓋」じゃねえかということだろう。


松岡農相の遺書が公表されているが、書き出しの「国民の皆様、後援会の皆様」の文言に、私などは「国民の」と名指しされても困惑が走るばかりだ。彼の脳裏に抽象されうる「国民」とはいかなるものか、私という者も含め、1億2千万の人々を抽象しうるというなら、「冗談じゃねえ」とばかりお返しするしかない。たかだか「支援の皆様、後援会の皆様」とごく控え目に書き遺すべきだったろう。
文末は「安部総理、日本国万歳」と締め括られているというのだから、この書き出しと文末に、私のように、そう気やすく「国民の皆様と括ってくれてもネ」と困惑を呈する人々のほうが過半を占めようというものである。
引っ掛かりついでに筆を滑らせば、葬儀において松岡農相の夫人は「主人にとって、太く短く良い人生だった」と挨拶したというが、「太く短く」はともかく、「良い」という語が挿入されるのはいかがなものか。
政治というもの、とかくカネがかかるもの。その裏舞台をつねに間近でつぶさに見てきて、時に違法なカネ集めをも必要悪と見て見ぬふりの日々ではなかったか。これを「良い人生」と曰われては、自らもその法外な必要悪に連座し、享受してきたものと見られても致し方なく、おのが規範の乏しいことを白日に曝した発言となるではないか。葬儀の参列者や支援者にはそれでもよかろうが、広くだれもが注視の状況下で、おのれの発言が活字となって世間に躍ることもよく承知のなか、ここは一字一句おろそかにしてはなるまい。
農相の「国民の皆様」といい、夫人の「良い人生」といい、共通してその射程の狭きこと、これがなにより気に掛かった事件だった。
と、サヨナラ談義が、ずいぶん横道へと逸れてしまった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−57>
 恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる  中臣宅守

万葉集、巻十五、狭野弟上娘女との贈答の歌。
生没年未詳、意味麻呂の孫、東人の子。罪状は不明だが、越前国へ配流され、天平13(741)年、前年の恭仁京遷都の大赦で帰京。万葉集巻十五に40首。
邦雄曰く、焦がれ死にするなら死んでしまえとでも言うように、私があの人のことを思っている時に、ほととぎすは来て声を響かせる。第一・二句は一首の決まり文句で、忍恋の激情の表現だが、ほととぎすに寄せて一首の被害妄想めいた歎声を発しているのはめずらしく面白い。両者贈答歌の終りにみる「花鳥に寄せ思ひを陳べて作る歌」七首のなかの一首である、と。


 道の辺の草深百合の花咲(え)みに咲みしがからに妻といふべしや  作者未詳

万葉集、巻七、雑歌、時に臨む。
邦雄曰く、路傍の草の茂みに一茎の百合、その花さながら、ちらりと微笑をあなたに向けた、ただそれだけのことで、妻と呼ばれなければならないのか、否、否と、百合乙女は、多分その熱心で強引で自惚れの強い男を拒む。みずからを百合に喩えるところは微笑ましく、「花咲(はなえみ)」なる言葉も実にゆかしい。「古歌集」出典歌中、絶類の佳品である、と。

古今以下、題詠の習慣もあってだろう、春秋の歌に比べて、夏の歌はよほど乏しいとみえて、この「清唱千首」に採られたものに万葉の歌が目立つ。万葉時代の言の葉は、今日の語感から遠く隔たって、判じがたいもの多く、やはり隔世の感甚だしきを、いまさらながら強く思わされる。


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