おのづから心に秋もありぬべし‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの−山頭火>

−世間虚仮− 100人の慰安婦たち

DAYS JAPAN」6月号では、「慰安婦100人の詳言」が特集されている。
100人のひとりひとりのクローズアップと氏名と国籍、それに60字ほどの短い来歴が添えられている。百人百様、どれをとっても、個有の過酷な重い過去が浮かびあがってくる。
そういえば先頃、平成5(1993)年の「河野談話」を否定するかのごとき安部首相発言が、国際的にもずいぶんと問題となっていたが、首相自身早々と軌道修正して外交上事なきを得、ひとまずは沈静化したたようである。
すでに88歳になるという、一兵卒として中国・沖縄戦を経て、米軍捕虜となった近藤一さんの、日本軍は中国で何をしたか、体験の始終を淡々と語る証言が併載されているが、飾り気なくただ酷薄な事実を重ねていくだけに、よく実相を伝えて衝撃的でさえある。
その多くが80歳代、90歳代の彼女たちが求める「償い」に、日本政府の腰は鈍重なままに、徒に時間のみ過ぎゆく。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−56>
 おのづから心に秋もありぬべし卯の花月夜うちながめつつ  藤原良経

秋篠月清集、上、夏、卯花。
邦雄曰く、白い月光の下に幻のように咲き続く、その月光の色の花空木、真夏も近い卯月とはいえ、人の心には、いつの間にか秋が忍び寄っている。人生の秋は春も夏も問わぬ。光溢れる日にさえ翳る反面に思いを馳せずにはいられない。これこそ、不世出の詩人、良経の本領の一つであった。放心状態を示すような下句の調べもゆかしく、かつ忘れがたい、と。


 ほのかにぞ鳴きわたるなる郭公み山を出づる今朝のはつこゑ  坂上望城

拾遺集、夏、天暦の御時の歌合に。
生没年不詳、坂上田村麻呂の子孫、是則の子。従五位石見守。暦5(951)年、和歌寄人所となる。勅撰入集2首。
邦雄曰く、拾遺・夏、ほととぎすの歌13首の半ばに置かれた。山を出て里に近づく声である。都の人々もその声を待つ。「郭公み山を出づる今朝のはつこゑ」、山を出るのを、鳥とせずその声としたところに微妙な新味があり、心に残る。勅撰入集は今1首、後拾遺・春上、「あら玉の年を経つつも青柳の糸はいづれの春か絶ゆべき」がある、と。


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