家にありし櫃に鍵刺しおさめてし‥‥

Takenohana

−四方のたより− 異邦人の長い一日

昨日(22日)は例によって稽古で、帰宅後に図書館に予約本を引き取りに出向いた以外は定番コース。
一昨日の土曜はあるコンサートに「きしもと学舎の会」のブース出店のため、いまにも降り出しそうな空模様のなか、朝早くから播麿中央公園まで出かけた。まずは宝塚の岸本宅へ立ち寄り、めずらしく早い食事を済ませた彼を車に乗せて、ヘルプの境目君と岸本の古くからの知友坂本和美君と緊急参加の谷口豊子さんの総勢5人となったから、往きも帰りも窮屈至極のドライブ移動。
当初から300も集まれば御の字かと決め込んではいたものの、コンサート会場の客足は予想以上の低調ぶりで、消耗戦覚悟だったとはいえ、若者たちの集うコンサート会場に紛れ込んだ我々5人の異邦人たちにとって、まさにそのとおりの長い一日となった。救いはお互い初めての顔合わせもあり、それらがひとつことの協働作業に一日を費やして時を過ごしたことの、五人五様に事情は異なろうともいくらか新鮮な匂いがあったかに思えることだ。
それにしても、隣に陣取った「Wajju-和聚」なるブースに寄り集う若者たちの群れのノーテンキな健全さには些か閉口させられた。どうやら彼らはなべて神戸に本社を置く人材派遣会社「ガイアシステム」が関係するボランティア団体らしく、中核はみんなその会社の社員のようだった。
若いイベントスタッフたちもまたそうだったが、彼らはみな一様に明るくかつ自己中心的としか映らない。「出会い」を謳い「発見」を唱えるが、その出会いも発見も予定調和的で、彼ら自身の限られた狭い枠のなかでしかないから、此方と通じるような回路の見出だしようもない。
フィナーレ近く、主催となっている歌手のステージが始まったあたりで、我々異邦人たちは早々と帰り支度をして車に乗り込んだ。帰路、岸本の自宅近くのレストランに立ち寄り、ゆっくりと会食をしたのが異邦人たちの長い一日の慰めのひとときとなって、お互いやっといつもの自分に戻り得たような気がしたものだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−76>
 恋ひ侘びてうち寝るなかに行きかよふ夢の直路はうつつならむ  藤原敏行

古今集、恋二、寛平御時、后の宮の歌合の歌。
邦雄曰く、現実には逢い難い愛人の許へ、夢のなかでのみは通う路がある。「直路(ただじ)」、直通するたのもしい通路が覚めての後の日常にもあったらと、詮ないことを願う。恋する者の切ない心であろう。古今集には、この歌に並べて百人一首歌「夢の通ひ路人目よくらむ」が採られている。定家は後者を「花実よく相兼ねたる」と称揚はしたが、如何なものか、と。


 家にありし櫃に鍵刺しおさめてし恋の奴のつかみかかりて  穂積皇子

万葉集、巻十六、由縁ある雑歌。
邦雄曰く、愛の道化師、恋の奴隷を幽閉しておいたが、無益なこと、いつの間にか脱出して、主人に挑みかかる。当然のことであろう。それこそ今一人の自分であったものを。穂積皇子は、この歌を宴席で酒が最高潮になった頃、好んで歌ったと註している。戯歌ではあるが、このやや自虐的な修辞には、かえって作者自身の、隠れた感情が躍如としている、と。


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