から衣裾野の庵の旅まくら‥‥

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)


−表象の森− 生物と無生物のあいだ

今年5月に出版されたちまち多刷を重ねる話題の新書。
Amazonの新書・文庫部門のリサーチでは今も2位に君臨するセラーぶりだし、そのAmazonのカスタマレビュー欄には今日現在で88人もの読者が長短思い思いのレビュー記事を書いているという賑わいぶりなのだから驚き入るが、賛否両論入り乱れて侃々諤々の活況を呈しているのを場外から覗き見るのもまた面白い。
総じて文系人や一般の読者に大いに称揚され、それが過剰に過ぎるほどに見えようから、理系読者の反撥を買っているような様相だ。
著者福岡伸一は本書をもって、「生命体」を語らせて、この国における注目のエンタテイメント作家となったようである。
著者には「もう牛を食べても安心か」(文春新書)で初めてお目見得した。
その中の、生命体における「動的平衡」論に知見を得て強く印象に残ってはいたのだが、その折の読後と比べれば、本書に特段の新しい発見がある訳ではないように思う。DNAの二重らせん発見以来の生命科学というか、分子生物学における今日の常識的概括ともいえそうな知見が、著者自身の科学者として生きてきたその経験やそれにまつわる心象風景などを絡めながら科学的エッセイとして綴られてゆくもの。
したがってこうして話題になればなるほど理系読者たちからの厳しい批判の矢も夥しいものになるのは致し方あるまいかと思われる。


毎日新聞の書評欄「今週の本棚」7/29付には、詩人・小説家の大岡玲が「詩的な文体で生命の神秘を語る」と題して本書を称揚する一文が寄せられていた。
いささか賞讃が過ぎようかと思われるほどに美辞麗句で綴られているが、一般読者への道標としての書評とみれば、それほど妥当を欠いているものではないだろうと思える。
大岡は自身生物学者を志したこともあるという少年時代に読んだ本書と同じ書名をもつ川喜田愛郎の「生物と無生物の間―ウイルスの話」(岩波新書-56年刊)によって受けた遙か昔の知的興奮を喚起しながら、川喜田書と本書の間に横たわる50年という歳月に同心円状に重なる知を読み取りつつ書評を綴っている。
以下はその後半部分で長くなるがそのまま引用させていただくとする。


まるでボルヘスのような、と言いたくなる、きわめて文学的なたくらみを駆使して福岡氏が本書で提出するのは、川喜田氏が問いのまま残していた「生物体なるものに具現された秩序と持続性」の実相なのだが、そのたくらみを支える華麗な文体と仕掛けには唸らされる。生命の本質を捉える際に著者が最重要視する要素である「時間」が、全体の構造そのものにも組み込まれているのだから。
すなわち、半世紀前のすぐれた書物が内包していたその時点までのウイルス学の歴史時間、その書物よりもあとに生まれた著者自身の人生および研究者としての人生の歴史時間、そして分子生物学が発展してきた歴史時間が三重奏する中で、生命が保持する「動的な平衡状態」が舞台の中央にせりあがってくるのだ。

「動的な平衡状態」とは何か?
「その答えの前に、まず著者はいまだ決着を見ない「ウイルスを生物とするか無生物とするか」の論争に対して、「ウイルスを生物であるとは定義しない」という大胆な結論を出す。なぜなら、「生命とは自己複製するシステムである」という、分子生物学の分野で長らく常識とされてきた定義だけでは生命は捉えきれないと考えるからだ。「では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか」
「生命は常に正のエントロピー、すなわち最終的には死に至る「乱雑さ」にさらされている。そのエントロピー増大の危機を、生物は「周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れる」、すなわち食べることによって乗り越え続ける。しかし、それは他の生物の秩序をそのまま受け入れるというような単純な作業ではなく、はるかに精妙なものだ。その精妙さの核心にあるのは、「生命とは代謝の持続的変化であり、」「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」という事実なのである。これこそが「動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)」であり、生命とはその平衡状態を形づくり続ける「流れである」、と著者は言う。

このあたりの思考過程を記述する第9章の「砂の城」の比喩や、ジグソーパズルを例にして説明される第10章「タンパク質のかすかな口づけ」、第11章「内部の内部は外部である」は、華やかな詩的レトリックが圧巻だ。大学の講義のような川喜田版『生物と無生物の間』の文体とはまるでちがう。これもまた、意図的なものであるのか、著者本来の資質なのか。あるいは、生命という神秘を正確に語ろうとする時、詩的であることは必須なのかもしれない。
特定の遺伝子が働かないようにする操作を施した、いわゆるノックアウトマウスの実験が、著者の予想とはまったく異なった結果になったことを記した最終章は、生命の神秘を深く実感させてくれる。「生命という名の動的な平衡は」「決して逆戻りのできない営み」、すなわち「時間という名の解けない折り紙」なのであり、「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはない」という著者の思いは、科学的精神がたどりついた敬虔な祈りそのものである。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−118>
 さ夜深き雲ゐに雁も音すなりわれひとりやは旅の空なる  源雅光

千載集、羈旅、法性寺入道、内大臣の時の歌合に、旅宿雁といへる心を。
寛治3(1089)年−大治2(1127)年、村上源氏に連なるも血脈は諸説あって定かならず。従五位上治部大輔に至る。源広綱藤原忠通らの歌合で活躍。金葉集初出、勅撰集に16首。
邦雄曰く、旅の「空」に居るのはわれのみ一人ではない。雁もまた夜もすがら虚空を旅して此処まで来た。雁を思って自らを慰め、わが身に引き替えては雁を憐れむ。雅光は三船の才で聞こえた源雅定の子とも伝える。金葉集に10首、他併せて16首勅撰に入った。金葉・秋の「さもこそは都恋しき旅ならめ鹿の音にさへ濡るる袖かな」もまたねんごろな叙情、と。


 から衣裾野の庵の旅まくら袖より鴫の立つここちする  藤原定家

六百番歌合、秋、鴫。
邦雄曰く、いわゆる達磨歌の典型、ここまで奇抜な修辞を敢えてするのは天才たる由縁だろう。歌合では当然「鴫の料に衣の事を求めたる、何の故にか」の論難が、右方から突きつけられる。判者にして父の俊成、「袖より鴫の」と云わん為、と迎えてやり、右の慈円を置いて左勝とした。奇歌とも言うべく、しかも抑揚・強弱が明瞭、快く愉しい作、と。


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