雁の来る峯の松風身にしみて‥‥

Uramado100

−四方のたより− Dinner Showの夜

もうずいぶん前から些か関わりのある歌い手松浦ゆみのディナーショーが弁天町オークのホテル大阪ベイタワーであったので、昨夜は連れ合いも幼な児もご同伴で、日頃の私などには不似合いの時ならぬ賑やかにて華麗なる(?)一夜と相成った。

長い間一向に陽の当たらぬ歌い手の道を歩いてきた彼女が、一応のプロ歌手ともいえるメジャーデビューを果たしたのは、7年前の落語家桂三枝が余技で書いたとかの詞を得て歌った「もう一度」という曲からである。
この業界でいわれるところのメジャーデビューというものが何を基準にあるかなど、その頃の私は知る由もなかったのは無論のことだが、それでも門外漢ながらとにかくもその発売記念のショー企画を頼まれ設定したのがはじまりで、その後リサイタルやディナーショーの制作や演出をいくつか裏で支えてはきた。
業界関係の事務所などに属さずいろいろとぶつかりながら徒手空拳でまがりなりにもその世界の登竜門に挑んでいく彼女のありように、門外の私などにも些かなりと心動かされるものがあったからだ。
関西など地方にあるままにプロ歌手をめざし生きていこうなどというのは、活躍する舞台とてあまりにもそのパイが狭小に過ぎるのだろう、周囲の人間関係にも翻弄され、やがて消耗し疲れ果てては露と消えてゆくのが宿命なのだろうし、彼女もまたきっとそうなってしまうにちがいない。
いずれ散ってしまうにちがいないのだけれど、そっと咲いた花なら花として、たとえそれほど陽のあたらぬ場所であったとしても、花の宿命を生きてみたいと、歌いつづけていくのを潔しとしているのだ。

唄は巧い。
以前にも書いたことがあるが、オールディズポップスから出ているからかノリもいいし、演歌からジャズまでなんでもこなすテクニシャンだ。
サービス精神もかなりのものだから260名ばかりの馴染みの客は2時間を越えるショーにも退屈することはなく、ほぼみなご満悦の体ではある。
おそらく彼らにとって15000円也は高くはない一夜の買い物だろう。
たとえ小さなささやかな夢ではあろうとも、その夢を売っている、売り得ていることにはちがいなく、彼女はまだ萎れず、散り去らず、昨夜も咲いていた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−117>
 雁の来る峯の松風身にしみて思ひ盡きせぬ世の行くへかな  慈円

千五百番歌合、千四百七十三番、雑二。
邦雄曰く、結句「世の行くへかな」に愚管抄の著者、天台座主たる気概が偲ばれるが、決して釈教歌や道歌の臭いは交えていない。歌合当時作者は40代後半に入ったところ、列して右は源通具の「過ぎにける三十路は夢の秋ふけて枕にならぶ暁の霜」。この巻自判ゆえ右に勝を譲っているが、その堂々たる風格だけでも左の勝、通具の作も珍しく良い出来、と。


 鳩の鳴く杉のこずゑの薄霧に秋の日よわき夕暮の山  花園院一条

風雅集、秋下、秋の歌に。
出自・伝未詳、花園院に仕えた女房、後期の京極派歌人として風雅集に10首入集。
邦雄曰く、古歌の鳩は珍しく、山家集の「古畑」の他は、この「杉のこずゑ」など特筆すべき清新な作。殊に素描に淡彩を施したかの味わいは忘れがたい。作者は風雅集にのみ10首、「院一條」の名で入選。秋中の「草隠れ虫鳴きそめて夕霧の晴れ間の軒に月ぞ見えゆく」や、秋下の「吹き乱し野分に荒るる朝明けの色濃き雲に雨こぼるなり」等、いずれも秀逸、と。


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