夕されば野辺の秋風身にしみて‥‥

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−表象の森− 中野重治への召集

すでに日本全土の都市という都市がB29の空襲でほぼ壊滅的な打撃を蒙っていた戦争末期、というより終戦も間近の、高見順「敗戦日記」の7月23日付に、
中野重治の応召を聞く。ドキッとした。中野重治が‥? 四十二.三だ。」
と短く触れていた箇所があったが、これには此方も絶句するほどに驚かされたものだった。
中野重治が召集され入隊する際に妹の鈴子宛に書き遺したとされる「遺言状」は、昭和20(1945)年6月23日付であったというから、高見が人伝にこの召集を知ったのは廻り廻ってほぼ1ヶ月遅れてのこととなる。その「遺言状」には、旧くからの交わりのあった佐多稲子や、特高監視下の不自由な日々をさまざまに支えてくれた人々への感謝の言葉に続けて些か唐突気味に「柳田国男氏ニ深ク感謝ス」と記されてあったそうだが、中野の柳田国男への尊崇傾倒ぶりに、戦前戦中の左翼思想家たちと柳田民俗学との少なからぬ接点の在り処がその深層においていかなるものであったか、想像を逞しくさせるものがある。
それにしても召集を受けた中野重治は高見の書くようにこの時43歳であったから、敗戦間近の軍部は異常を通り越してもはや狂乱の沙汰というほかない。


―今月の購入本−
大沼保昭編「慰安婦問題という問い−東大ゼミで「人間と歴史と社会」を考える」勁草書房
三木清三木清エッセンス」こぶし書房
蔵本由紀非線形科学」集英社新書
宮本常一イザベラ・バードの「日本奥池紀行」を読む」平凡社ライブラリー
宮本常一山本周五郎他監修「日本残酷物語-4-保障なき社会」平凡社ライブラリー
加藤郁乎「江戸俳諧歳時記-上-」平凡社ライブラリー
宮下政次「炭は地球を救う」リベルタ出版
広河隆一編集「DAYS JAPAN -動物たちが伝える地球の危機-2007/10」
「ARTISTS JAPAN -34 曽我蕭白デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -35 狩野探幽」   〃
「ARTISTS JAPAN -36 小林古径
「ARTISTS JAPAN -37 安田靫彦

さて日々の読書はあれこれと手を出しては併行しつつまた途切れつつ、このところ一向に読了するものがない。困ったものである。先頃の宮本常一「忘れられた日本人」に誘われて「イザベラ・バード―」と「日本残酷物語-4-保障なき社会」を求めた。日本残酷シリーズは1-3はもうずいぶん前に蔵書にあり、拾い読み程度には読んでいる。東大ゼミの「慰安婦問題―」は左右双方の論客たちによるものとて、頭の整理に良いやもしれぬ。「三木清―」もちろん絶版の古書、若かった頃の懐かしさをこめて触れてみたい。「非線形科学」は中村桂子の書評に導かれて。「江戸俳諧―」は折に触れ繙いては愉しめよう。「炭は地球を―」は畏友美谷君のブログで紹介されていたのに食指が動かされた。

―図書館からの借本―
「図説 メディチ家河出書房新社
「図説 ハプスブルク帝国」 〃


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−120>
 明け暗れの朝霧隠り鳴きて行く雁はわが恋妹に告げこそ  作者未詳

万葉集、巻十、秋の雑歌、雁を詠む。
邦雄曰く、後の世なら「寄雁恋」とでも題したことだろう。第一・二句の未明の霧は、言外に忍恋を暗示していると見るのも鑑賞の一趣向か。上句が意味の上では第四句の半ばまで延び、肝腎の抒情が寸詰まりになったところに、むしろ素朴な心の姿が見える。雁詠13首の2首目、冒頭は「秋風に大和へ越ゆる雁が音はいや遠さかる雲隠りつつ」と尋常な調べ、と。


 夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里  藤原俊成

千載集、秋上、百首の歌奉りし時。
邦雄曰く、慈鎮和尚自歌合「八王子」七番の判詞に、作者自身が伊勢物語第百二十三段の深草の鶉に拠ったと註する曰くつきの歌。本歌取りの典型ではあるが、鴨長明が無名抄で引く俊恵の言通り、第三句「身にしみて」は念が入り過ぎてこの一句が歌を浅くしている。それでもなお深みが残るのは名作たる由縁であろうか。俊成36歳、壮年の自信作、と。


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