葦辺ゆく雁の翅を見るごとに‥‥

Alti200418

−世間虚仮− 11万人の怒りと5万人の憂き目

各行政の長や県議会をも巻き込んだ沖縄県民11万人の結集がとうとう政府文科省をも動かした。
戦争末期の住民集団自決が日本軍部による強制のものであったという厳正なる事実を歪曲させ、この記述を削除させた高校日本史の教科書検定を撤回させんとする沖縄県民大会は、9月29日午後、宜野湾海浜公園に県民挙げて11万人の大集会となり、各紙大きく報道していたが、これを受けて発足したばかりの福田内閣文科省は修正を含めた見直し検討をはじめたという。
ところが現行の検定制度では、検定合格後の教科書を修正する場合、教科書発行の各社が訂正申請するか、文科省が訂正申請を各社に勧告する場合との二つのケースがあるとされるのだが、従来から文科省が訂正申請を勧告した例は一切なく、渡海文科相も「勧告で撤回することは難しい」としているそうな。
このあたりが政府の狡猾きわまるところで、文科省の傀儡機関たる教科書検定審議会に強制記述の削除を示唆し、なかば強制的に削除させながら、情勢変じてこれでは具合が悪いとなっても制度上の問題を盾に、文科相勧告を採ることなく、教科書会社による訂正申請で責任転嫁、頬被りを決め込もうとする。
いま沖縄は米軍基地再編問題も抱え熱い。


「円天」商法のL&Gに強制捜査が入ったと伝えられている。
バブル崩壊後、さまざまな金融商品の詐欺的商法で数多くの小市民たちがなけなしの蓄財を掠め取られて泣きをみたというのに、またしても「円天」なるネズミ構・マルチ商法騒動だ。
会員5万人から電子マネー1000億円を集めたという円天商法が破綻を決め込んで、会員たちの出資金がすべて泡と消える恐れが発覚、大騒動となっている。
この手の詐欺的商法は大小とりまぜさまざまに世間に蔓延しているのが現実なのだろうが、「円天」なる独自通貨を電子マネーとして流通させたことが5万人・1000億円という法外な規模となったとみえる。この商法5年前からというが、それにしてもこれほどの規模にまで被害が膨れあがるとは、私などには到底考えられないことで、被害を蒙った会員の人々にはまことに気の毒なことと思いつつも、よほど学習能力がないと言わざるを得ないのも率直な感想だ。

かたや11万人の怒りの結集が時の政府を動かせば、5万人の人々が悪徳商法に溺れた果てに泣きの憂き目をみる。この対照に何をか況んや。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−120>
 葦辺ゆく雁の翅(つばさ)を見るごとに君が佩(お)ばしし投箭(なげや)し思ほゆ  作者未詳

万葉集、巻十三、挽歌。
邦雄曰く、鮮烈でそれゆえに哀切な投箭の反歌には長歌が先行し、「何時しかと わが待ち居れば もみぢ葉の 過ぎて往にきと 玉梓の 使ひの言へば」と、夫の死を知らされる件が冒頭に見える。雁の翅に寄せる思いが哀悼であり、一首が挽歌である所以だ。巻十三末尾に近く掲げられ、「この短歌は防人の妻の作りし所なり」の後註あり。挽歌の圧巻をなす秀作、と。


 たまゆらも鹿の音そはぬ山風のあらばや思ふ夢も待たまし  三条西實隆

雪玉集、秋、秋山家。
邦雄曰く、まどろみのなかにも、絶えず悲しい鹿の声が入ってくるので、一夜の安らかな眠りも叶わぬ。ただ一時でも鹿の声を交えぬ山風が吹かぬものか。そう思う夢も抱いていようと歌う。一首全体が逆接表現仕立てになっていて、主題を強調する手法。15世紀の微に入り細を穿つような修辞の工夫がこういう工芸品に似た作品を生む。句切れ皆無の妙趣、と。


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