霜まよふ空にしをれし雁がねの‥‥

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―表象の森― 金楽寺だより

私のところに「金楽寺だより」というハガキ一枚にガリ版刷りで短い詩と日常を描いたようなペン・スケッチが添えられた便りがまるで定期便のように舞い込むようになったのはいつ頃からだったか。今日手にしたハガキには二十七話とあるからこれが27通目ということだが、たしか私の記憶によれば、「金楽寺だより」と題されるようになったのは、彼が引っ越しをしたらしく、ハガキに書かれた住所地が尼崎市金楽寺町‥となってからで、それ以前はなんと題されていたかすっかり忘れてしまっているが、2ヶ月に一度くらいか気ままなペースできていて、もう5年や6年は続いているのではないか。
この人、岩国正次という。
知人には違いないが、友人というには相手のことをあまりに知らなさすぎる。
もうずっと昔のことだが、つい先日またもやネパールのポカラ学舎へと旅立った岸本康弘に付き添って車椅子を押してくるのに、何度か見かけたことがあるだけで、互に名告り合いくらいはしただろうが、まともに言葉を交わしたというほどのこともない間柄に過ぎないのだ。
しかし、折にふれたハガキ一枚の、掌編の詩だよりも、何十編となく積み重なってくれば、これが一方的なものにせよ、いつしか知己の間柄とも思えてくるもので、いつしかその人と姿やその温度まですでに既知のものとして感じている不可思議に気がつく。
このさい今日届けられた掌編を書き留めておこう。


「確執−父よ」
母子家庭に育った
長男である父は
自分の母を
どう見詰めていたのだろう


ぼくが誕生し
手放しで慶んでくれた祖母も
手足の不自由な妹を
 出産した途端に
母を見る眼が
 ドンドン変わっていく


厳格な家にと
異質を拒み続け
玄米から白米にしたことだけで
嫁姑の確執が生じた


常に上座にいる祖母に
萎縮して口も利けずにいる
あの人と妹そして祖母
どう舵取りするのですか


極貧に喘ぎつつ
なお蔑むのは
崩壊しきった
ぎつぎつした人の集団だ


ぼくを残してでも
三人でこの家を捨てて
必ず会いにいくから
これがあなたへの
 最後通告だ


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−89>
 霜まよふ空にしをれし雁がねの帰るつばさに春雨ぞふる  藤原定家

新古今集、春上、守覚法親王の五十首歌に。
邦雄曰く、八代集、否二十一代集に現れる帰雁詠中の白眉とされる歌。春雨にしとどに濡れる眼前の雁と、去年の秋、霜乱れ降る空を飛来した記憶の雁を、一首の中に重ね合わせる妙趣、はたと膝を打つ巧みさ。良経の「月と花との名」の品位と並べ、まさに双璧と称すべきか。院初度百首の帰雁は「思ひたつ山の幾重も白雲に羽うちかはし帰る雁がね」で尋常な詠、と。


 たづねみむ蝦夷が千島の春の花吉野泊瀬は珍しげなし  十市遠忠

遠忠詠草、天文二年中、玉津島法楽五十首、尋花。
邦雄曰く、蝦夷慈円が述懐百首中に「ゑびすこそもののあはれは知ると聞け」と歌ったが、千島の現れるのは珍しい。単刀直入、修辞など念頭になく、放言に類することを歌にしてしまった趣き、大和の豪族十市氏らしい持ち味だが、武士ながら三条西実隆門の有数の歌人。歌風は単に豪放なばかりはでなく、「千島」は一面を示すのみ。16世紀半ばの没、と。


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