匂へどもそことも知らぬ花ゆゑや‥‥

Alti200411

−表象の森− 科学知へのパースペクティヴを

お恥ずかしいかぎりだが、近頃、蔵本由紀の「非線形科学」や「新しい自然学」を読んだおかげで、私のような理系コンプレックスの徒にも、現代における科学的知へのパースペクティヴとでもいうべきものが、この年にしてようやくというべきか、まがりなりにも形成されていくような感がある。
そんな次第で、このところ科学関係やその啓蒙書の類を渉猟することしきり、購入本や借本にも色濃く影を落としている。


―今月の購入本−
広河隆一編集「DAYS JAPAN -ジャーナリストの死-2007/12」ディズジャパン
すでに‘07年中に命を落としたジャーナリストは77名にのぼるという。’06年は85名であったとか、’03年のイラク開戦から世界各地でジャーナリストの犠牲者はうなぎのぼりの状況だ、と。リストカットを重ねる少女の写真もまた痛々しいことこのうえない。
・マレイ・ゲルマン「クォークジャガー−たゆみなく進化する複雑系草思社
還元主義から複雑適応系への転換によっていかなる新しい科学が生まれるかを展望した書、‘97年版中古書。
・イアン・スチュアート「自然の中に隠された数学」草思社
カオスから複雑系まで、共通する数学の構造から多様な現象を貫く単純な原理が明かされる。ホタルがいっせいに明滅する現象とムカデの歩行が同じ仕組みのものとわかる。’96年版中古書
・ジェイムス・グリック「カオス−新しい科学をつくる」新潮文庫
相対性理論量子論からカオスの世界へ、現代科学の新しい知を総合的に論じてくれる入門書に相応しい書、‘91年版中古書。
・山口昌哉「カオスとフラクタル非線形の不思議」講談社ブルーバックス
カオスやフラクタルが話題になり始めてまもない頃の、その基本構造を分かり易く説いてくれる啓蒙的入門書、‘86年版中古書。
・臼田昭司・他「カオスとフラクタルExcelで体験」オーム社
カオスとフラクタルの基本理解と、Excelを使って体験できるようにまとめたテキスト、’99年版中古書。
松井孝典「地球システムの崩壊」新潮選書
温暖化や人口爆発など、21世紀が抱える深刻な課題の本質を地球システムのなかで捉え警告を発する文明論、本年の毎日出版文化賞・自然科学部門受賞の書。
西岡常一・小川三夫・塩野米松「木のいのち木のこころ」新潮文庫
「木に学べ」の法隆寺宮大工西岡常夫の弟子小川三夫らが語る西岡・小川・塩野の棟梁三代、匠の心。
・V.E.フランクル「夜と霧−ドイツ強制収容所の体験記録」みすず書房
著者自身のナチス強制収容所体験を克明に綴った本書は’02年に別人訳で新版が出たが、旧版には他の多くの証言記録や写真が豊富に資料として添付されている。‘85年版の中古書。
渡辺清「砕かれた神−ある復員兵の手記」岩波現代文庫
著者についてはジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」にほぼ20頁を費やして詳細に言及されていたが、海軍の一復員兵が自身の戦中と終戦直後の天皇観への激変を通して、天皇の戦争責任を追及するようになる心情を綴る復員日記。
アンドレ・シャストル「グロテスクの系譜」ちくま学芸文庫
ルネサンス美術の陰で産み落とされてきた怪奇や滑稽・アラベスクなどグロテスクなるものの系譜をたどる美術史。
・他に、ARTISTS JAPAN 44-田能村竹田/45-狩野山楽/46-岩佐又兵衛/47-司馬江漢


―図書館からの借本―
・J.L.キャスティ「ケンブリッジ・クィンテット」新潮社
人工知能は可能だとする数学者チューリングを最左翼に、不可能とする言語学者ヴィトゲンシュタインを最右翼に置き、この二人の間に物理学者シュレディンガーと遺伝学者ホールディンを配して、人工知能の原理的な側面から認識論や認知作用まで架空論争を闘わせ、精神と機械の本質を明らかにしようとする。この架空対話を取り仕切る進行役は、文系人間と理系人間の不幸な分裂を鋭く指摘したC.P.スノーである。’98年版。
・ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて−上」岩波書店
・ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて−下」岩波書店
長く日本にも滞在し、日本近代史を専攻する米国リベラル派の歴史学者が、終戦の8月15日からサンフランシスコ講和条約締結までの約7年間を膨大詳細な資料を渉猟しながら戦後日本を克明に描いた日本論。’01年版。
蔵本由紀・編「非線形非平衡現象の数理-1- リズム現象の世界」東京大学出版会
平衡系から非平衡系へとパラダイム転換した科学知の世界、その非線形非平衡現象の数理科学的方法論の新たな展開を総合的に網羅紹介しようという全4巻シリーズの1。
蔵本由紀「新しい自然学−非線形科学の可能性」岩波書店
集英社新書非線形科学」の前著にあたるが、小誌ながら、新しい科学知の世界の啓蒙書としては、簡潔にして高邁によく語りえており見事。’03年版。
・フランソワ・イシェ「絵解き・中世のヨーロッパ」原書房
祈る人々としての修道士たち、戦う人々としての騎士たち、働く人々としての農民たち、ルネサンス以前の混沌とした中世が、表象とイメージの彩なす風景の中に、豊富な図版と解説を通して眼前化してくるF.イシェの書。’03年版。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−90>
 匂へどもそことも知らぬ花ゆゑやあくがれゆかむ有明の空  後奈良天皇

後奈良院御製、春暁花。
邦雄曰く、桜花憧憬の歌も時を隔て歳月を重ねるに従って、その技法は多岐にわたり、新古今・風雅・玉葉のまねびもようやく古びる。御製の第四句「あくがれゆかむ」など、あたかも花を求めての空中遊行と思わせ、新生面を拓いているようだ。昧爽の万象淡墨色に霞む眺め、見えぬ花が中空に朧に匂う。作者は後柏原帝皇子。和歌は三条西実隆を師とする、と。


 別れ路にまた来む秋の空とだにせめては契れ春の雁がね  公順

拾藻集、春、帰雁。
生没年未詳、13世紀後半から14世紀初頭か、九条金頂寺別当禅観の子。権大僧都にして二条派歌人として活躍。
邦雄曰く、四句切れ命令形の「契れ」が、応答を頼むすべもなく虚空に消え去る。秋・春の照応、初句の置きよう、ねんごろに過ぎるほどの構成が、個性を反映する。「いつはりに鳴きてや雁の帰るらむおのが心と花に別れて」も別種の面白みを見せているが、「別れ路」の艶には及ぶまい。作者は新古今の歌人藤原秀能の曾孫で、父の禅観は東大寺の高僧、と。


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