あさましや散りゆく花を惜しむ間に‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−温故一葉− 旧師河野二久さんへ

 寒中のお見舞いとともに年詞に代えて一筆啓上申し上げます。
一昨年の九条南小同窓会以来ご無沙汰しておりますが、恙なくご壮健にてお過ごしのことと推察、またご趣味の版画のほうにも腕を奮っておられるご様子にて、併せてお慶び申し上げます。

同じく一昨年の春でしたね、所属されている版画のグループの「コゲラ展」に同窓有志連れ立って大挙?してお邪魔しましたが、その後二次会よろしくみんなで和気藹々と過ごしたのも愉しい時間でありました。
今年も三月頃には同じ真砂画廊で開催され、先生も自作出品されるのでしょうね。其の折はご足労ながら是非お知らせください。またみんなに呼びかけてお邪魔しようかと思っておりますので。

先生の生い立ちの話などお聞きしようと不躾にもお宅をお訪ねしたのが、もう二年余り前になるというのに、つい先日のように鮮やかに想い起されます。奥様にも初めてお目にかかりましたし、その節、若い頃は中加賀屋の幼稚園に勤務されていたと伺い、吃驚してしまいました。
私が、お二人ともども縁の深い現在の地-東加賀屋-に引っ越してきた際には、この付近を歩いては、小学校の4年生の時でしたか、二年上の小間(?)さんに連れられ、汐見橋の駅から電車に乗って、中加賀屋にある教職員住宅の先生のお宅に遊びに行った時のことが、懐かしく思い出されたものでした。

その教職員住宅は、建物のほうはもちろんとっくに建て替えられていますが、おそらく昔と同じ場所に在るのでしょう。二階だったか三階だったか、コンクリ−トの階段をトコトコ昇っていく幼い頃の自身の姿がモノクロの映像のように甦ってきて、その細い一本の記憶の糸が、知り合いとていないほとんど見知らぬはずのこの地を、なにやら昔からゆかりのあるものと感じさせ、ほのかな温もりを与えてくれたものでした。

現在地に落ち着いてもう十年を経ようとしていますが、この先もうおそらく動くことはありますまい。私にとっては終焉の地となるのでしょうね、きっと。
大寒も近く、急に寒さが厳しくなりましたが、風邪などお気をつけて、いつまでも若々しいお姿そのままに、のんびりゆったり、ご長寿を謳歌されますことを。 
  08戊子 1.15  林田鉄 拝


旧師河野さんは小学校時代5年と6年の担任。それがどうしてか担任になる前の春休みのことだったか、その頃よく遊んで貰っていたのだろう、2年上の小間さんという今でいえば少々肥満タイプの兄貴分が、卒業式を終えたばかりの記念にか、先生宅の訪問をすると言って、連れに私を誘って二人して汐見橋の駅まで歩き、南海のチンチン電車に乗って、中加賀屋の教職員住宅を訪ねたのである。当時の先生はまだ独身で、ご両親夫妻と三人住まいであったように記憶するが、そのお宅でどのように過ごしたかは判然とせず、なぜか外階段を昇っていく自分の像がやけに鮮明に残っている。
当時まだ30歳前だった先生は、放課後の時間を校門の閉まるまで毎日のように、とにかくわれわれ子どもらと一緒になってよく遊んでくれた。50人のクラスの半数以上はいつも残っていたろう。大概はドッジボールに興じ、集団の縄跳びなども定番だったが、野球などはあまり得意じゃなかった私が、ドッジや縄跳びはどちらも結構得意にしていたようで、おそらく一日たりとも欠かさず遊んでいたはずだ。


若草山の山焼きは、今年は13日であったとか。
その山焼きを歌った「春日野は」の歌は、以前に一度この欄で紹介したことはあるが、その際、塚本邦雄の解説には触れていないので、重なるが今日の<歌詠み−>に置いた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−106>
 春日野は今日はな焼きそ若草の妻もこもれり吾れもこもれり  よみ人知らず

古今集、春上、題知らず。
邦雄曰く、伊勢物語の第十二段には、盗賊に誘拐されて妻となった娘が夫の命乞いをする歌を、初句「武蔵野は」として挿入する。「春日野」のほうは、野遊びの夫が妻を率いて歌うのどかな調べ。夫・妻の枕詞「若草の」が、この歌では、萌え出た双葉、初花の草々を兼ねる。「こもれり」のルフランも、武蔵野は哀切に響き、春日野のほうはかろやかに弾む、と。


 あさましや散りゆく花を惜しむ間に樒も摘まず閼伽も結ばず  慈円

拾玉集、百首和歌、春二十四首。
閼伽(アカ)−梵語 argha;arghya 貴賓または仏前に供えるもの、特に水をいう、功徳水。−閼伽棚・閼伽桶
邦雄曰く、桜花との別れの悲しみに浸って、うっかり時の経つのも日の過ぎるのも気がつかず、はっと我れに還ってみれば、ながらく仏前の供花の樒を採るのも、水を汲むのも怠っていたと、僧侶にもあるまじき心の緩みを白状する。頭掻きつつ哄笑するさまが眼に浮かび、磊落で俗にも通じた作者の個性が遺憾なく表れ、王朝和歌中では、珍重すべき生活詠か、と。


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