たちどまれ野辺の霞に言問はむ‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−温故一葉− 時夫兄へ

 寒中お見舞。
「美ら海」公演、盛況裡に無事終えられたことと推察、お疲れさまです。
師走の会合では相も変わらず同胞寄れば乱調を呈する倣い未だ修まらず、またしても不興を買ったようで恐縮の至り、一言陳謝申し上げます。

近親にあってその愛憎はとかく自制効かず赤裸々に表れやすいものとの分別はあっても、ほぼ年に一度きりの寄合に、滅多に顔を合わせぬ者同士が会えばかならず一波乱あるは、四十、五十と齢を重ね、四角の角もほどよく取れて、他人様からはようよう円くなったものと評されるというのに、これも他人様と違ってなに憚りない骨肉ゆえと思うけれど、すでに赤子に還って三つ四つと歳を重ね、おのが人生もそろそろ黄昏時なのだから、いかなる場合においても互いに他者としてきちんと必要な距離を置けるようにありたいものです。

さてここからが本題ですが、近頃読んだ本で「砕かれた神−ある復員兵の手記」(岩波現代文庫@1100)というのがあります。砕かれた<神>とはもちろん昭和天皇のこと。著者の渡辺清は、静岡県富士山麓の農家に生まれた次男坊で、高等小学校を卒えてすぐ志願して海軍の少年兵となり、昭和19年10月のレイテ沖海戦で沈没した戦艦武蔵の砲兵だったが、奇跡的に生還した人。終戦を迎えて復員後の虚脱感のなかで、生家へ身を寄せた昭和20年9月から再起をかけて故郷を立つ21年4月までを、嘗ては限りない信仰と敬愛を捧げ、生きた偶像であった天皇の、戦中−戦後における<神から人へ>の変貌を正視しつつ、その像の瓦解と幻滅、そして怒りと否定へと、自身の天皇観の劇的な変化を、田舎暮らしの生活感あふれる細部とともに、日記の体で綴っているもの。厳密にいえば、本書初版は昭和52(77)年だから戦後30余年を経ており、部分的には後書きともいえる文章整理がされていると見られるのだが、それはたいした瑕疵にはなりますまい。素直に読んでなかなか感動ものです。

再起後の彼は働きながら進学、後年、作家・野間宏を囲み、雑誌「思想の科学」の研究員を経て、「わだつみのこえ」-日本戦没学生記念会-の事務局として活動、本書の他に「海の城」「戦艦武蔵の最期」「私の天皇観」の著書があるようです。余談ながらジョン・ダワーの大著「敗北を抱きしめて」(上下)のなかで、著者と「砕かれた神」について20数頁にわたって触れられています。

こういったものが劇化されるのを私などは望むのだけれど、さて其方の眼鏡に適うかどうかはなんとも図りかねますが、一度読んでみてはとお奨めします。
  08 戊子 1.17   林田鉄 拝

時夫は一卵性双生児の兄、一家の三、四男として、ともに生れともに育った。
高校卒業まで常に一緒で、クラブまで同じで、まさにシャム兄弟同然だったが、大学で関学同志社と分かれた。
物心ついた頃から濃厚な親和力に包まれていた二人が、果敢な青春期を異なる道へと歩みはじめた時、反感情が渦巻き、激しく牙を剥きあった。この間の事情をあきらかに書き留めるには相当な労苦を要するので、いまはこれ以上触れない。
間遠になってから40年余となるが、たがいに大阪を離れることはなく、現在もともに市内に住んでいるのだが、相見える機会といえば、冠婚葬祭の類かどうにも避けられぬお家の事情といったところで、年に一度か二度きり。
年詞のやりとりもないから、書面をもって音信するなどもちろん初めてのことだ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−109>
 たちどまれ野辺の霞に言問はむおのれは知るや春のゆくすゑ  鴨長明

鴨長明集、春、三月盡をよめる。
邦雄曰く、命令形初句切れ、願望形三句切れ、疑問形四句切れ、名詞止めという、小刻みな例外的な構成で、しかも霞を擬人化しての設問、好き嫌いはあろうが、一応珍しい惜春歌として記憶に値しよう。晩夏にも「待てしばしまだ夏山の木の下に吹くべきものか秋の夕風」が見え、同趣の、抑揚の激しい歌である。いずれも勅撰集に不截。入選計25首、と。


 春のなごりながむる浦の夕凪に漕ぎ別れゆく舟もうらめし  京極為兼

風雅集、春下、暮春浦といふことを。
邦雄曰く、結句に情を盡したところが為兼の特色であり、好悪の分かれる点だ。初句六音のやや重い調べも、暮れゆく春の憂鬱を写していると考えよう。作者の歌には、表現をねんごろにする結果の字余りが、多々発見できる。風雅集は巻首に為兼の立春歌を据え、計52首を選入した。人となりは「快活英豪」であったと、二十一代集才子伝に記されている、と。


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