根にかへるなごりを見せて木のもとに‥‥

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Information「Arti Buyoh Festival 2008」

−表象の森− 客観が動く

吉本隆明が「思想のアンソロジー」(P21)で「イエスの方舟」の千石イエスが使った表現として言挙げしている。
以下、吉本の解説に耳を傾ける。

「鮮やかに耳や眼にのこる独特な、水際だった言葉で、とてもいい言葉だと思う」

「意味は、<自分の魂の動き(心の動き、情念や理念状態)とは違った外側の条件が変わる>ということだと受けとれる」

「信仰は(主観)は無際限に自由で限界など一切ないけれど、客観的な情況の変わりように従って形は無際限に変わるものだという、千石イエスの宗教者としての真髄がこの独特の言い方のなかに籠められている気がする」

「わたしは比喩的にこの宗教者を、受け身でひらかれている点で、中世の親鸞ととてもよく似た宗教者だ思う」

「客観が動けば、信仰(主観)はそのままで変わらなくても、信仰(主観)の行為は変わりうる」


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−108>
 今日暮れぬ花の散りしもかくぞありしふたたび春はものを思ふよ  前斎宮河内

千載集、春下、堀河院の御時、百首の歌奉りける時、春の暮をよめる。
邦雄曰く、千載・春の巻軸歌に採られただけのことはある。選者俊成の目は各巻首・巻軸に、殊に鋭い。初句切れ・三句切れ・感嘆詞止めの構成は、惜春の情纏綿たる趣をよく伝えた。第三句の字余りで、たゆたひを感じさせるあたり、選者は目を細くしただろう。下句の身をかわしたような軽みも面白い。作者は斎宮俊子内親王家女房、勅撰入集は計6首、と。


 根にかへるなごりを見せて木のもとに花の香うすき春の暮れ方  後崇光院

沙玉和歌集、応永二十二年、三月盡五十首の中に、暮春。
邦雄曰く、和漢朗詠集の閏三月に藤滋藤作「花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるに益なし」云々の詩句あり。出典未詳の古語を源とするが、これの翻案和歌は甚だ多い。後崇光院は十分承知の上で、「花の香うすき」の第四句を創案、一首に不思議な翳りを与え、非凡な暮春の歌とした。散り積った花弁の柔らかな層まで顕つ、巧みな修辞である、と


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