霧にふね引く人はちんばか

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―表象の森− ALTIの競演<第二夜>辛口評

ALTI BUYOH FESTIVAL 2008 in Kyoto <辛口評>

−第2夜− 2/10 SUN

◇The Wheel of life, remade  −18’30”  −Oginos and Core −兵庫
  構成・演出・振付・音楽・照明:荻野佳代子-祐史
  出演:米田桃子、有井まりの、平屋有彩、有井はるか
Message
 そこにみえるのは私、知らないのはわたし‥‥
私はわたしではないのかな?

<寸評> Dancerとしての少女がふたり、そしてDancerとは未だ云えぬ幼女がふたり。
場面はAとBの二部構成。Aでは中央にイスが一つ、背景にはHorizontが使われ、少女の動きはシルエットが中心にはじまる、そこへ幼女ふたりが登場、上手から下手へ、また下手から上手へと歩くといった、別なる風景が挿入され、少女のシルエットの動きと交互に進行していく。Bではイスが二つとなり、背景は大黒幕へ変わる。音楽は電子音のnoise的音の連続。幼女たちと少女たちの交互に紡がれてゆく風景の積み重ねは、私には、過去と未来あるいはその反転とも見受けられたが、ミニマリズムを標榜する作者の意図はそのあたりにはないのかもしれない。
2年前のこのグループの作品には、7人の少女らが出演していた。これを照合してみるとこんどの作品の少女ふたりとは違い、7人はすっかり姿を消してしまったとみえる。たしか年長組が14歳だったというから、彼女らは高校生となるのを機にグループから離れたことになる。この事実は悲惨にすぎる。
素材としての少女の身体性をもって、作者の意図する表現の方法論が必ずしもmiss matchとはかぎるまいが、成長過程にある少女らの内面は、主体性をもってこれを選び取ろうとするとは到底思えない。悲惨な事実の問題の根は、グループが拠点とする三田という地の不利ばかりではあるまい。

◇月時計    −15’00”  −藍木二朗 −東京
  構成・演出・振付:藍木二朗
  出演:藍木二朗
Message
 月への祈りは遊び時。はるかなものになるための。
月への祈りは遊び時。それは月光で育つ時軸のはなことば。
月への祈りは眠り時。そして夜の子供がめざめる。
月への祈りは眠り時。子供は踊る、あの秘文字の楽譜を。

<寸評> ‘93年からSolo活動をはじめたというこの人は、mimeを主力とした表現者だ。その動きはどこまでも柔らかくしなやか、時にすばやく時にゆったり、流れるようにかろやかで、見せる芸としては達者なものである。
構成もまたsimpleそのもの、prologueとepilogueは舞台中央の仄かなサス明かりのなかで、身をくるませるようにして微かに動く。それは胎児のめざめとも、なにと知れぬ生物の呼吸とも云えようか。
問題は始めと終わり、閉じられたその円環性にあるとも云えるのだが、本領発揮であるべき10分余りのMovementの世界が、その動きの流れるような延々とした連なりとはうらはらに、imageの増幅が、造型性のふくらみや衝迫が一向に表れず、ひたすら卓抜な身体芸として賞翫するしかなく、円環のうちに閉じられるのもまた陳腐な見え透いたものと堕してしまうのだ。

◇象形図     −栗太郎とアルテンジャンズ −兵庫
  舞踏:栗太郎  三味線:重森三果  照明:大沢安彦
Message
 はじめからこわれているもの 
誰も居ない家‥‥魂すら消え去って 壁にはられた古いお札がゆれている 
台所の欠けた飯碗の中でアリの死骸が舞う カマドのうしろから病気の稲妻が立ち上がる

<寸評> 事情のほどはいっさいあきらかにされなかったが、出演者側の理由でこの日突然の出演中止となった。
この人の作品に格別の期待や思い入れがあった訳ではないが、結果として5作品の配列が些か冗長感を強め、不満の残る一夜となった。

まほろば -Complex’08-  −12’30”  −FUUKI DANCE VISION −京都
  振付・構成・美術・衣裳・出演:冬樹  映像:竹田雅宣
Message
 景色を見るように、風を感じるように、小鳥の鳴き声に耳をすますように
あなたの時間を私たちに下さい。砂のように時は流れ、風のように過ぎ去ってゆく。人の魂は時の集合体である。

<寸評> 結論から云えば、これは板の上にのせるべきではなかった。
背景のHorizontに映し出された映像はすべて冬樹の旧作のエッセンスによる編集、群舞などのショットの数々。その前を下手から上手へと、橋掛かりに登場する演者よろしく、そろりそろり思わせぶりな動きとともに歩いていく。背景の映像とこの登場の仕方の合成はモンタージュでもなんでもない、冬樹という私のただの履歴書であり、夢の跡形を追うしかない老いさらばえた者の現実の似姿である。
冬樹ダンス・ビジョンとして彼がものしてきた旧作の数々を直接知る訳ではないが、そのかれの前身たる出自を知る者としては、Messageとは別にパンフに、「動きが空間を創る」とか「動きを洗う」という言葉を弄し、ラバンや神澤の名を列ねるという尊大且つ軽薄な言挙げをしつつ、このていたらくとは言語道断、何をか言わんやである。
映像の消えたそのあとに、Soloらしき動きをする場面、これまた見るべきほどのこともなく、恣意的なままに時間だけが過ぎゆく。
見せられた世界は、ひたすら冬樹の私小説としかいいようなく終始した。

◇大原音日記 春の歌  −19’00”  −京都 DANCE EXCHANGE −京都
  構成・演出・振付:片岡重臣、植木明日香 振付adviser:山田珠実
  出演:乾光男、植木明日香、片岡重臣、北川道裕、藤井幹明、吉田輝男 演奏:青井彰、片岡重臣
Message
 大原音日記「春の歌」は片岡の亡き母靖子が2003年2月に本ホールで踊った人生最後となる舞台「春の歌」を題材に構成され、その後片岡が京都大原の自宅で母を偲びながら作曲した曲を中心に大原の春を表現しています。

<寸評> 身体表現には素人の中年男性というよりすでに初老男性と云うべき5人と、Ballet Dancerの女性ひとりで演じられたこの作品も、私小説的に発想された世界には違いないが、その構成は客観的なフィルターを通され、些か稚拙とはいえ一応の作品化がなされていた。
50年、60年と長い人生を経てきた個別の垢がこびりついた習慣的身体は、各々バラバラに固有の癖をもつ制度的なものであり、それをそのままに活かした開放的な表現を試みるならば、回転などのハレエテクニックを基礎にした振付はMiss match以外のなにものでもない。
彼ら自身がいきいきと開放的に、楽しく愉快に表現に遊ぶ動きの領域というものは別なところにあるのだ。明瞭にその視点をもって可能な動きの選択からはじめるべきだ。

◇Yurari    −15’00”  −舞うDance〜Heidi S.Durning−京都
  構成・演出・振付:Heidi S.Durning  映像:八巻真哉
  出演:Heidi S.Durning  演奏:野中久美子-能管-
Message
春、竹が風にゆられ桜の花びらが風の中をゆらゆら優しく散っていく。
静けさ、美しい無、時間が止まる中ゆっくり思い浮かべる。 現実? それとも夢?

<寸評> この人の舞を観るのは’06年に次いで二度目。
下手に橋掛かり風の思い入れで段差を利用した能舞台の空間を作った。Horizontに映し出された映像は、自然風景の実写だろうか、雲の動きや地上の景色が超高速度で撮られたものか、焦点をぼかしたりさまざまな工夫で、カオスの世界のように揺らぐ。
音は前回のnoiseの強い電子音とはうってかわって能管だから、舞の世界と溶けあいつ、時に緊張を生み出す。
だが、この人の舞や所作、佇まいといったものに、初見の時に覗えた新鮮さはずいぶん遠くなった感がした。2年の間にこの舞手は、非常に繊細・微妙なところで大きく変容したのではないだろうか、それもよくないほうへと。
「舞うDance」というambivalentな要素を孕むnamingが、奇妙なbalanceを期待させるのにも係わらず、この日の彼女は、動けばどこまでも舞の人であり、あるいは能の居曲の如くそこに在りつづける人であった。
「舞うDance」から、Danceは何処かへ消え去り、隠されてしまった。


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−24

  笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨   
   冬がれわけてひとり唐苣    野水

唐苣-トウチサ-南欧原産、アカザ科の越年草。夏菜の代表的なもので、解熱・消炎などの働きがあり、唐苣の粥は暑気あたりの良薬と云われる

次男曰く、句は、冬枯れを分けてひとり夏菜をちるちも、冬枯れをよそに夏菜ばかりが青々しているとも読め、其の人・其の場いずれの付にも解される作りで、どちらに読んでも、「無理にぬるゝ」を見咎めた滑稽の工夫だとはわかる。

わかるが、唐苣は畑に栽培するもので、野生ではない。野山は枯れても畑の青物にはむしろこと欠かぬ季節に、唐苣ばかりが畑にある、というのは有りそうで実際は無理な話だ。「語の理解より云えば。両解いづれも通ずれど、気味より云へば、ひとり唐苣の冬枯れ分けて存せりとする方を勝れりとすべし」-露伴-と、大方がまず考えたがるだろう云回しにちょっとした仕掛けがある。

ならば、「ひとり」下七文字の頭に表したのは、両義の間をとつおいつさせるための、意識的な朧化-ろうか-だと見てよい。結局は、ひとり冬枯れを分けて夏菜を欠き取る風狂の方に分がある、と覚らされることになるだろう、と。


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責任 ラバウルの将軍今村均 (ちくま文庫)

責任 ラバウルの将軍今村均 (ちくま文庫)

Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」

―表象の森― ラバウルの将軍今村均

漫画家の水木しげるが、兵役でラバウルにいた時に、視察に来た今村均から言葉をかけられたことがあるという。その時の印象について「私の会った人の中で一番温かさを感じる人だった」と書いているそうな。-水木しげる「カランコロン漂泊記」-

あるいは「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役するためマヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐ許可するよう命じた。」とマッカーサーに言わしめたという。

また、1954(S29)年6月19日付朝日新聞の「天声人語」の末尾に、「自ら進んでニューギニア付近のマヌス島に行った。戦犯兵と共に労役に服している今村の姿は、彫りの深い一個の人間像とは言えよう」と書かれた今村均

「聖書は父の如くに神の愛を訓え、歎異抄は母の如くに神-仏-の愛を訓えている――と。これは、一つのものの裏と表だけの違いである」
と、ラバウル戦犯収容所時代の獄中にあって、長息和男への手紙の末尾に認めた陸軍大将今村均は、戦時の前線においても聖書と歎異抄を携え日々読んでいたという。

角田房子「責任−ラバウルの将軍今村均」-新潮文庫S62刊、初版S59新潮社-は、1954(S29)年の晩秋、戦犯としての刑期を終えた今村が、かねて自宅の庭の一隅に作らせてあった三畳一間の小屋に自ら幽閉蟄居の身として、その余生を徹底して自己を見つめなおす罪責の意識のうちに過ごし、旧部下全員-それは戦死した者、刑死した者、運よく生還し戦後の荒波のなかに生きた者すべて-への償いのために生きて、1968(S43)年心筋梗塞で独り静かな往生を遂げたその生涯を詳細によく語り伝えてくれる。


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−13

  田中なるこまんが柳落るころ   
   霧にふね引く人はちんばか   野水

次男曰く、連句とは一口に云えば月花をたねにした遊である。二折・三十六句の歌仙では、初折の表五句目・裏八句目-これのみ短句-・二折の表十一句目を月、初折の裏十一句目・二折の裏五句目を花の定座とする。連句の約束は勝負事のルールとは違うから、右はうごかしてもさしつかえないが、破るにせよ守るにせよ一座を納得させる工夫がなければ、文芸の約束など無意味に等しい。

秋二句目、その座-裏八句目-にあたる野水が月の句を詠まなかったのは、初表の月が引き上げられていること、それにも増して、次座が杜国に当っていることを、睨み合わせたからである。下げて譲ったのだ-初表五句目の月の定座は杜国だった-。見易いことだが-尤もそう指摘した人はいない-、話作り、言葉探しの面白さはその先の読みにある。初表の月の座を、引き上げて下り月-有明-と作れば、裏は、引き下げて上り月に作るしか合せようはあるまい。

「柳落るころ」に対して「霧にふね引く」-曳舟は下りだ-と付けたのは、片や風物片や人事を以て、自らも下り・上りの向合せに作る興もあったには違いないが、主としては、譲った月の座-杜国-に対するしつらいである。

この成行のおよその読みは、野水だけではなく座の誰もが持っていた筈で、荷兮の「柳落るころ」も単なる零落のとりなしではなかったことがわかる。「落る」と誘っておいて、次なる月の定座の対応を興味深く計っているのだ。承けて、野水は非力なる体の曳舟の滑稽でかわした。曳く力を抜けば-「ちんば」をやめれば-、川舟は落ちる。「霧に棹さす人はちんばか」とでも作れば、たちまち曖昧になってしまう。月の座を譲る興も現れないし、「ちんばか」も死ぬだろう。「柳落るころ」を季節感のみで受け取って、詞の寄合-柳と川舟-などに安心していると、手もなく荷兮の術中に陥る、と。


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