田中なるこまんが柳落るころ

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Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」

<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−13

   あるじはひんにたえし虚家    
  田中なるこまんが柳落るころ   荷兮

次男曰く、初裏七句目。歌仙二つ目の月の定座を次に控えて、秋季に作っている。秋の句に続く雑のはこびのなかに他季-芭蕉の打越句-の挿入があるから出来ることだ。

句は、栄枯盛衰は世の習い、ということを季節に執り成せばこうなる、という見本のような作りだろう。「柳散る-黄柳-」という季語は、現代では仲秋に扱う歳時記が多いが、目立たぬさまに一、二葉が落ちるのは「薄柳ノ姿、秋ヲ望ンデ落ツ-世説新語-」の喩えのとおり、まだ青々と茂る立秋の頃で、昔の作法書や歳時記は、柳散るを、霧散る-桐一葉-とともに初秋の季としている。

「柳落る」という遣方は、「頃」留りにするための音数上の必要からには違いないが、かりに「柳散らすころ」「柳黄ばむころ」などと作れば、零落の情はあいまいになる。

「田中なるこまん」も、名物柳の伝承などにありそうな話をこしらえて、亡んだのは「万」とまではゆかぬ「中」ぐらいの分限者だ、と云いたいのだろう。これは同じ作者でも、先に「有明の主水」で見せた詩情とはやや似て非なる軽口だ。前句がせっかく「貧に絶えし」と誘った志は、辛うじて「柳落る」になぞられているにすぎまい。踏み込んだはこびが難しかったか、やや曲折倒れになったあしらいの付である。とはいえ、「田中」が田上、「こまん」が於国や小糸でもよいというわけにはゆかぬらしい、とは読ませるからやはり手合である。

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