二の尼に近衛の花のさかりきく

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Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」

四方館-SHIHOHKAN-の出演は、愈々今夕。
「KASANE ? –襲-」 TrioによるImprovisation Dance
   構成:林田鉄/演奏:杉谷昌彦/衣裳:法月紀江 
   出演:小嶺由貴、末永純子、岡林綾

春ならば桜萌黄や裏山吹や、秋ならば萩重や女郎花など、襲-かさね-の色はこの国特有の美学だが、その美意識は蕉風俳諧の即妙の詞芸にも通じていよう。
このTrioによるDance Performanceは、三者の動きの、その絶えざる変容と重畳がとりどりの襲となって、森羅万象あるいは生々流転の心象曼荼羅を象る綴れ織りとも化そう。


−世間虚仮− 340億円→26億円

大阪市の土地信託事業で破綻した新世界の「フェスティバルゲート」が26億円でとうとう売却されることになった。
落札したのは韓国系企業で、この施設を商業施設として再開発するために韓国の複数企業が出資して昨年6月に設立された「FESTIVAL PLAZA APP」という開発会社だという。
当初建設費は300億円とも340億円ともいわれた施設が、市有地14,000?とともに、26億円で露と消える訳だ。

入札の予定価格はたった8億円という査定だったから、26億円というのは予想外の高値ともいえるのだが、4200坪余の土地を坪単価61万円ほどで売却することになるのだから、既存の建物をそのままにリニューアルするという計画がかりに失敗、頓挫したところで、買い手の韓国企業にとってはたいした痛手にはなるまい。

そもそも8億円という入札予定価格は、素人考えながら私はてっきり、建物のみの価格で、土地の方は市有地のままに賃貸借するものとばかり思っていたのだが、豈図らんや、取り壊すとなればあの頑丈なる構造物、多大の費用がかかるものとて、それを減殺しての査定だったのかといまさらながら吃驚している。
千代粼のドームなどに続いて、これで一つの大きな泡が、完全に藻屑と消え去るわけだが、まだまだ多く問題の泡を残している大阪市のこと、解決の道のりは果てしなく遠い。
それにしても、なんという結末、なんという災厄。
行政のしでかした罪過だけに始末が悪すぎる。


<連句の世界−安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」−17

   となりさかしき町に下り居る   
  二の尼に近衛の花のさかりきく  野水

次男曰く、初裏十一句目、花の定座である。はこびは、秋三句のあと、雑一句で挟んで春。

「二の尼」は、「となり嶮しき町に下り居る」という句作りに釣り合わせて思い付いた、いわゆる「位」取りのことばだが、いきなり「二」と取り出した興が気になる。下居の人は一の尼だとさとらせたいのかもしれぬ、と思う。下居ということばは天皇の退位から女官などの宿下がりにいたるまで、広く遣う。重五の句は身分も男女別もことわっているわけではないから、この取り出しは工夫になるだろう。一の尼が、尋ねて来た二の尼から、花だよりに言寄せて御所の近況を聞く、と読めば話になる。

意想外の展開はその次だ。「賢し」は、「栄え」「盛り」と同根の言葉と考えられ、「源氏物語」には「さかしき世」、「蜻蛉日記」にも「己-兼家-がさかしからんときこそ」と遣った例が見える。「嶮」から「賢-口さがない-」ら引き移させるのが前句の注文だと承知していて、躱して「盛」を取り出す芸は並の気転ではない。偶々、花の座にあたっていたからこそ思い付いたことには違いないが、野水は原義を知っていたのかもしれぬ。成行で生まれた言葉の面白さかもしれぬ。別に物の盛りの話を聞くなら「一」ではなく「二」から聞きたい、というひねりにも滑稽がある。

別解。下居の人を二の尼と見て、話を聞きたがるのは町娘たちだと解釈することもできる。この方が、「嶮」を「賢-口さがない-」に読み替える意図は自明だが、前句の注文にはまった分だけ、花の座を「さかりきく」と作る面白さは無くなる、と。る


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