蕎麦さへ青し滋賀楽の坊

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―世間虚仮― 我慢の日々

普段なら自由な時間に事欠かぬ身の上なのだが、例年のことながら此の月だけは忙しく、このところ寝不足の日々が続いて疲労困憊気味、頭も身体もいささか朦朧としている。
折角図書館から借りだした本たちも、横に積み置かれたまま手も出せない。
あと一週間もすればこの辛苦も抜け出せようから、いましばらくは我慢々々。

昨日の朝刊の囲み記事で見たのだが、微生物などによって分解される生分解性プラスチックを強力高速に分解できる酵母がイネの葉から発見された、という。
従来の微生物を使った方法では1ヶ月ほどかけてやっと分解しはじめるのが、この酵母では3日間ほどで分解されたというから、実用化されればプラスチックごみの減量化が格段に期待できるというものだが、ガソリン税暫定税率問題や日銀総裁人事問題で相変わらず空転がつづく国会や政府も、こういう発見にしっかり後押しをして速やかな実用化を願いたいものである。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−10

  つゆ萩のすまふ力を撰ばれず   
   蕎麦さへ青し滋賀楽の坊   野水

滋賀楽-しがらき-
次男曰く、前句を露と萩の角力、「萩」は青萩と見定めて「蕎麦さへ青し」と云っている。「このゆふべ」の歌が芭蕉の口から一座に告げられたに違いない、と思わせる作りである。

秋蕎麦は初秋に蒔き、仲秋花をつけ、晩秋・初冬の候に刈入れるのを普通とするが、其諺-キゲン-の「滑稽雑談」-正徳3(1713)年序-に、「新蕎麦、‥其茎にある物を振落し、或は焙炉にて乾して、磨きて麪-むぎこ-とす。殊外風味よろし、是を新蕎麦と称し、或は振ひ蕎麦と称す。武州の諸家殊に之を賞す、其釆地の土民に課て、秋月一日もはやきを以て賞翫とす。俳諧に近年用るも、彼地を始、都にも七・八月のS新穀を出して之を鬻ぎ之を賞す、故に秋に許用す。其茎と共に収刈は冬に及ぶ」としるしている。句に云うのは未熟で青々とした、この新蕎麦のことだろう。

信楽は平安以降、とりわけ「信楽の外山」として詠まれた近江の歌枕である。外山は人里近い山。暗部山-深山、通説鞍馬山の古名とする-の対だ。先に引いて拠り所とした「勝ち負けもなくてや果てむ君により思ひくらぶの山は越ゆとも」の「くらぶ」を「較」から「暗」に奪えば、信楽取出しは外山を利かせた巧な暗-くらがり-越えということになる。萩はどこにでも生えるが蕎麦は涼しい山あいに栽培される。それらしい地名を求める興が生れてよいが、だからといって「滋賀楽」を只何となくふと思付いたと云うわけにもゆかぬ。「坊」は、商人宿にひとして寺と見ておけばよい

古注以下、信楽を任意に思付いた地名とまず見て、信楽は知られた茶どころだからそれとくらべて「蕎麦さへ青し」と作った、といずれも解している。「このゆふべ」の歌にも、萩がまだ綻ばぬ青萩だとも、気付いていない、と。


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