つゆ萩のすまふ力を撰ばれず

Db070509t048

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−09

   燈籠ふたつになさけくらぶる  
  つゆ萩のすまふ力を撰ばれず   芭蕉

次男曰く、「大和物語」には、「万葉集」巻九に見える妻争いの長歌-莵原処女ノ墓ヲ見ル歌-から脚色した話を載せる-第147段-。そのなかに、昔を偲んで女宮や女官らが水死した三人の身替り歌を詠み合うくだりがある。その一つ、糸所別当「勝ち負けもなくてや果てむ君により思ひくらぶの山は越ゆとも」。

これを踏まえて、前句の情の含を汲んで季を初秋と見定めた作りだろう。「つゆ萩」とは露に撓った枝を云うのか、それとも露と萩の意なのか判断に迷うが、これも前句の「燈籠」と同じく次句に対する謎掛けの趣向かもしれぬ、と考えるとそれらしい歌の一つも探してみたくなる。
「このゆふべ秋風吹きぬ白露にあらそふ萩の明日咲かむ見む」-万葉・巻十-、寛永板本の訓みも同じである。「つゆ萩」の作意はこれに拠ったものらしい。「あらそふ」は、置きそめた露が咲くを催促すれば青萩が否々をする-初風に揺れる-さまで、「すまふ」は俳言である。猶、相撲も陰暦七月の季語で、うまい恋離れをする。

「俊頼好みてすまふといふ辞を用ゐ、其散木奇歌集に、かくばかりはげしき野辺の秋風に折れじとすまふ女郎花かな。ここは露と萩のすまふを、いづれを勝と撰むべくも無しとなり。-大和物語、糸所別当の-歌を意の下にして、燈籠ふたつと前句の秋の季をおもしろく取入れたるにより、ここに同じ季の景を打添へ作りて、露萩のすまふとは、あはれに附たるなるべし」-露伴-

「露は萩のなよやかな枝を圧へ、萩は露のいささかな重みに堪へようと争ふさまである。‥燈籠は墓前にあっても縁先にあってもよい。萩は手向けたものとも庭に咲いたものとも限るに及ばない。ただ情を比べる燈籠に味ははれた感じが、そのまま露・萩の優しいすまひに移されて居る点に、この附合の妙味は存する」-潁原退蔵-、と。


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