紅花買みちにほとゝぎすきく

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−世間虚仮− 京と宮

明午前0時を期して「大津京」駅が誕生する。
JRの湖西線西大津」駅の改称で、考古学者や歴史家から、大津「宮」は確かに存在したけれど、条坊跡が見つかっておらず、律令制都市としては歴史的に存在しなかった大津「京」を冠し、街おこしのためとはいえ歴史を歪曲するのは問題と反対の狼煙があがってから、推進派・反対派と喧しく論争の的になってきたが、当局たる大津市JR西日本は黙殺したまま到頭「大津京」へと衣替えするというのだ。

この問題、抑も初めから大津「京」ではなく大津「宮」としておれば、どこからもクレームなどつく問題ではなかった筈。
歴史ロマンを喚起させる駅名で街おこしのシンボルにと望まれた改称だが、なにゆえ歴史的事実を歪めるという瑕疵ある呼称の「京」でなければならないのか。私などからみれば、歴史的にもなんら問題のない「宮」で、推進派のいう効も充分に発揮できようものを、こうまで物議をかもして「京」にしてみたところで、瑕疵は瑕疵、どこまでもついて廻ることだろう。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−12

  朝月夜双六うちの旅ねして   

   紅花買みちにほとゝぎすきく  荷兮

紅花-ベニバナ-買-かふ-みちに

次男曰く、月は四季賞翫、そこに目を付け双六打が「ほととぎすきく」と季移り-戻り-に作ったのは、「百人一首」の後徳大寺左大臣の歌を捩-もじ-ったものだ。

「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる」-千載・夏-。

紅の花なら朝露のまだ乾かぬうちに摘む、ということも「朝月夜」のうつりにしている。そして、双六打の旅寝に相応しいのは寺坊などよりも紅花買が泊まる旅籠だろう、と打越を奪って優にはこんでいる。双六は奈良時代以前に中国より入った室内遊戯具だが、江戸初には絵双六も考案され、後者はとりわけ婦女子の遊として流行った。双六も紅花も女の用だというところがみそである。句姿は優しいが荒業師らしいと読ませる前句から丁半に血走った目をうまく消している。

双六打−采-サイ-という連想は、振り出した目によっては道の口-信楽-から道の奥-紅花買う道-まで流れてゆく、というふうにもはたらく。振り分けるという思付はこの付のもう一つの作文と読んでよいようだ。

延喜式」に見える紅花の貢納国は常陸から西は安芸まで二十四カ国にのぼるが、出羽はまだ入っていない。最上紅花の生産が全国一を誇るようになったのは近世初で、元禄頃には全国総高の二分の一を占めるように至った。「紅花買みち」とはその最上あたりと考えてよい。

五年後、この地の豪商で旧知の島田屋清風をたよった芭蕉は、尾花沢から立石寺への途で「まゆはきを俤にして紅花-べに-の花」と詠むことになる。元禄2(1689)年5月27日-旧暦7月13日-のことだった、と。


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