しのぶまのわざとて雛を作り居る

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−13

   紅花買みちにほとゝぎすきく  

  しのぶまのわざとて雛を作り居る  野水

次男曰く、ほととぎすは夜更・早暁に鳴き渡ることの方が多いから、古来、都では待侘びて聞くのを習とした鳥である。里村紹巴の-じょうは-の連歌書「至宝抄」にも「かしましき程鳴き候とも、希にきゝ、珍しく鳴、待かぬるやうに詠みならはし候」と云っている。

時鳥の名の如く、夏の訪れを告げる初音としてよろこばれた所以で、卯の花陰、隠れる、忍ぶ-忍び音-などは、いきおいその寄合の詞となる。
卯の花は品おとりて何となけれど、咲くころのをかしう、郭公の陰に隠るらむと思ふに、いとをかし」-枕草子-、
「鳴く声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花の陰に隠れて」-新古今・夏-。
そういう鳥を、紅花買と縁づけて道の奥-みちのく-聞くと曲を設けたところが、前句荷兮ぶりである。承けて野水は、聞くのは紅花商人だけではない。訳あってみちのくに「しのぶ」人も亦そうだ、と付ている。そこが読み取れると、藤原実方が詠んだほととぎすの歌を、検べてみたいと思わぬ方が不思議だろう。

「みちのくの任に侍りけるころ、五月まで郭公きかざりければ、都なる人に便につけて申しつかはしける――
 みやこには聞き旧りぬらむほととぎす席のこなたの身こそつらけれ 
後撰集-十代-の「夏」の部に「ほととぎす勿来の関の無かりせば君が寝覚にまづぞ聞かまし」という「返し」-詠人知らず-と合せて選び、「実方集」にも見える歌だ。下敷はこれに違いない。-「狂句こがらしの」でも野水は実方のほととぎすの歌を俤として付ている-

円融・花山両院の寵を承けた名門貴公子が、左近中将を解かれ陸奥守に任ぜられたのは長徳元(995)年、その3年後には任地で客死したが、業平と並んで後世数々の伝説で飾られた人物である。贈答歌の才を以てとりわけ後宮サロンに名を流したから、謫居のつれづれが雛人形作りというのはいっそう実方らしい面影を浮かび上がらせる。紅花買からのうつりもある。

諸注いずれも、西行が「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野のすすき形見にぞ見る」と哀傷した男の、ほととぎすの歌はむろん、面影にも思及んだ解はない、と。


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