芥子のひとへに名をこぼす禅

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―表象の森― ダンスの時間

先に引いた尼ヶ崎彬「ダンス・クリティーク」の終章「身体の時間−フレーズと引き込み」稿の結びとして「ダンスの時間」と題された一文があった。
複雑系非線形科学いうところの同期現象、引き込み理論などに基づきながら、踊る者と観る者の間、「見る−見られる」関係に三様の位相を説いている。

「こうして舞踊を見る観客の身体は時間の観点からは三種類の喜びを見出すことになる。一つは引き込みによって舞台と一体となり、我を忘れて没入し陶酔する快感である。二つ目は観客の身体が予測する進行を踊り手がわざと外しながら、結局は寸法を合わせることで秩序が回復するという、スリルと落着感である。三つ目は踊り手の身体に決して観客の身体が同調できないにもかかわらず、観客は息を詰めてこれを追いかけ、そして追いつけないがゆえに未知の世界を垣間見たということに満足することである。」と記し、最後に挙げたような経験は稀にしか起こり得ぬとも追記している。


異を唱えるつもりでこれを引いたのではない。
「ダンスの時間」という表題に、数年前からロクソドンタで行われているContemporary Danceのプロデュース企画がそのものずばりこのタイトルで、成程あの洒落た名付けはこれから頂戴したものだったかと、河内山よろしくとんだところへ北村大膳、思わぬネタ噺に納得、ついでに書き留めておこうと思ったまでのことなのだ。

ロクソドンタの「ダンスの時間」は年に4回ペース位で開催されてきたようで、今月下旬で19thを数えるからもう5年近く続けられているのだろう。プロデュースの中心は上念省三氏。関西拠点のDancerのみならず東京方面からの出演もあるようだ。毎回4〜5組の個人やグループがが出演しているから、常連組主体の構成とはいえこれまでに出演した個人・団体はかなりの数にのぼるだろう。近頃は夏にSummer FestivalなるDancerたちが一同に会するような特別企画も催され、大谷熾氏が主宰してきたDance BoxがFestival Gateを逐われるという災厄のあと、立地にも施設にも恵まれない東淀川の新しい拠点で立て直しを図っている現在、大阪のDance Eventを支える中軸的な存在となりつつある。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−28

  あだ人と樽を棺に呑ほさん  

   芥子のひとへに名をこぼす禅  杜国

芥子-ケシ-
次男曰く、執成-とりなし-付である。婀娜びとを「芥子のひとへ」とはうまい。連れて、浮名−-流す−を「こぼす」と遣ったのも成行とはいえうまい俳だ。古注に一休禅師などの俤と説くのが首肯できるか。

「夢ハ迷フ上苑美人ノ森、枕上ノ梅花花信ノ心、満口ノ芿香青浅ノ水、黄昏ノ月色新吟ヲ奈-いかん-セン」、
「楚台望ムベク更ニ攀-よ-ヅベシ、半夜玉床秋夢ノ顔、花綻ブ一茎梅樹ノ下、凌波-リョウハ-仙子腰間ヲ繞-めぐ-ル」、
晩年の愛人森侍者を詠んだ艶詩である。

露伴曰く、「前句豪宕狂逸の態なれば、一休如き不羈の禅僧のおもかげを仮りてここに点出したるなりと解せんことおだやかなるべし」、と。


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