烹る事をゆるしてはぜを放ける

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―世間虚仮― 初めて尽しの一年生

先週は月曜日-7日-の入学式に始まって金曜まで、晴れて新一年生となったK女のやや緊張気味の1週間をつぶさに観察。水曜日-9日-から早々と給食も始まっているが、食に偏りのある彼女の報告によると全部食べられたかと思えば次の日は殆ど食べられずといった体で、波の激しいこと夥しい。

給食のあと帰宅となるが、正門が家の前だというのに集団下校、20名位でぞろぞろ歩き出しては、いの一番に「さよなら」と角の信号で一団と別れるのが彼女を含めた何人か。

2時前には帰宅あそばすので、それから夜までの時間が長いこと。それでこのさい自転車乗りを克服させようと付き添ってやることにしたのだが、人一倍怖がりやさんの慎重居士もさすがに4日、5日と重ねてみれば、やっとどうやらこうやらバランスが取れるようになった。

まだカーブもまともに曲がれないような心許ないハンドル捌きなのに、昨日は歩けば20分はかかる保育園まで遠乗りを敢行、むろん母親が歩きながら付き添ってのことだが、この無謀ともみえるツーリングは、長い散歩に疲れ切った母親を尻目に、当の本人は意気揚々と無事ご帰還あそばした。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−30

   秋湖かすかに琴かへす者  

  烹る事をゆるしてはぜを放ける  杜国

烹-に-る、放-はなち-ける

次男曰く、名残の裏入、秋三句目。
湖上独り釣糸を垂れかつ琴を弾く隠士の付と読んでもよし、人物から観相を引出した対付と読んでもよい。しらべを変える弾琴の興を、釣った魚を放してやる興にうつして見合としている。沙魚-ハゼ-釣は隠士の楽しみだ。

「本朝食鑑」に「江都ノ士民、好事、遊嬉ノ者、扁舟ニ棹シ、簑笠ヲ擁シ、茗酒ヲ載セテ、竿ヲ横タヘ糸ヲ垂レ、競ッテ相釣ル。是、江上ノ閑涼、忘世ノ楽ミナリ。志和・亀蒙-シカ・キモウ、共に唐の隠士-ノ徒カ」とある。作りはただちに釈教ではないが、釈教を誘う旨い付である。

清少納言枕草子のもとづくところ也と俗伝さるる唐の李義山の雑簒の殺風景八事の中に、琴ヲ焼キテ?ヲ煮ル、といふがあり。それを俳諧にして、前句の琴とあるに因み、?を暇虎魚-ハゼ-とし、秋湖の気色に無風流を敢てせず、之を放ちやると滑稽に言へりとする方宜しからん。煮の字、意有りて下せるものの如し」と云うのは露伴だが、先に「琴かへす」を折角解明しながらそれが「虚栗」を踏まえた名古屋衆の持成-もてなし-の工夫だと気付かなければ、ここまで徒らな博捜に嵌ることになる。

「或は琴を弾じ或は魚を釣る。もと興に任せての事であるから、魚を釣っても必ずしもこれを煮ようとするのではない。そのまま又湖中に放ち去るのである」-穎原退蔵-、と。


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