かぜひきたまふ声のうつくし

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<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−14

  きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 

   かぜひきたまふ声のうつくし    越人

次男曰く、其の人-男-の感想の伸しである。
前句の「あまり」は、作った芭蕉の側から云えば語勢で、とりたてて意味はないが、付ける側から云えば、そういうことばを見咎めることにも優に連句の理由はある。越人がつけ込んだのはそこだろう。

「あまり」かぼそくあてやかなのは、後朝だけにかかわることではない、女が風邪気味だからだと越人は読んだか、それとも、「あまり」かぼそくあてやかなのを不審に思って女の様子を観察したら、風邪気味だったと読んだか、いずれとも解釈できるが、原因の付と読むと句味が浅くなる。後の解のほうが面白い。

いずれにしても「あまり」が微妙につなぎの役割を果している。この語がないと二句一意の平板な風俗になってしまう。「かぜひきたまふ」とその場を繕いながら、声が美しく聞こえるのは実は女が満足しているからだという余情も滲む。

付のきっかけは王朝時代の衣々の別れだろうが、前句とのあいだに直接の因果関係を持たせぬ方がよい。「かぜひきたまふ」の「たまふ」を戯れ気味に遣えば、元禄当世風の情景とも読めるし、女も然るべき上臈から町家の女の風情にと姿を替える。

いまひとつ、これは折口信夫も「恋の座」なる文で云っていることだが、連句は前句の表現全体に関わらねばならぬわけではなく、おのずからことばの係わり方に強弱がある。前句表現の一部を外して付けることもある。そうすることによっていっそう前句の詩情が瞭かになればの話だ。

折口はこの句の付味を、前句の後朝に関係なく付いている、と云う。つまり後朝は風邪気味の女の視界の外に在って、「惟漠と翳の如く、月暈-ツキカサ-のやうに、ぽつと」はみ出ている、と云うのである。

匂付ということをどこまで句の情景から引き離して読むか、これは難しい問題であるし、また「雁がねの巻」興行の頃それほど進んだ匂付の解釈があったか、と云うことも疑問になる。とりわけ句は芭蕉ではなく越人の付であるから、そこの判断は猶のこと難しいが、折口の云う解釈もゆるされぬ訳ではない。つけ加えておけば、柳田国男もこの付合は大変好きだったらしく、「私の師匠柳田胗叟先生、常に口誦して吝-おし-むが如き様を示される所の物」と折口は伝えている。

なお、この句は貞享5(1688)年6月19日、岐阜で興行された五十韻-発句は美濃・関の蕉門芦文「蓮池の中に藻の花まじりけり」、以下荷兮・芭蕉・越人・惟然ら、連衆15人-のなかで、

  土産にとひろふ塩干の空貝-ウツセガヒ-  落悟
   風ひきたまふ声のうつくし       越人
  何国-いづく-から別るゝ人ぞ衣かけて   芭蕉

としてすでに生れている。それを深川両吟に栽入れて-たぶん芭蕉が栽入れさせて-、別の展開をはかったものだ、と。


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