きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに

Db070510122

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−13

   足駄はかせぬ雨のあけぼの  

  きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに  芭蕉

次男曰く、「雨のあけぼの」は、単なる恨めしさでも噂でもない、と諒解した後朝の付である。

前句が女の男に対する感情なら此方は男が女を眺めやる場景としたところが設話の妙で、当然の呼吸とはいえ、王朝絵巻の一齣でも見るように優美に仕立てられていて、男を帰したがらぬ女の気持を、語が語を呼ぶ粘着気味の云回しでよく現している。

「余り繊麗にして婉美なる女なれば、足駄はかせて出しも得せず、また出も得ず、いたはる心、弱々しき姿、古歌の如くに、おのが後朝なるぞ悲しき纏綿の情尽き難きところを此句は描出せり。枯淡を喜ぶ平生の芭蕉には稀なる艶体の句ながら、所謂詩人の筆、有らざるところ無きものなり。前句、はかせぬ句を切りて読みてはおもしろからず、はかせぬ雨のと続けて読み、雨が足駄はかせぬなりと見るべし」-露伴-

「はかせぬ雨」は、男が生憎と眺めるのを女が遣らずの雨とよろこぶさまとでも解すれば面白いが、露伴の意はちぐはぐな情の滑稽などを思っているわけではないらしい。ならば、わざわざ「はかせぬ雨」と読んで女の帰したがらぬ情がかえって句裏に潜んでしまっては、人事句で展開する妙がなくなる、と。


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