物いそくさき舟路なりけり

Syutu_africa

―表象の森― 何処より来たりて

篠田謙一著「日本人になった祖先たち」-副題:DNAから解明するその多元的構造-によれば、
現在のDNA分析と化石の研究といった知見から、現代人に直結する新人は20万年〜10万年前にアフリカにあらわれ、出アフリカは8万5000年〜5万5000年前頃、地球上の各地へと拡がっていったと類推されている。
写真の図は、その世界拡散の経路と時期のあらましを示したもの。

中東から東へと、アジアに向かった集団がオーストラリア大陸に辿り着くのが4万7000年前、東アジアにもほぼ同じ頃到達したと見られ、西のヨーロッパに現れたのははおよそ4万年前と考えられている。
日本列島へは、東南アジア諸島の南方海上の道から、あるいは東アジアの朝鮮半島から、さらにはシベリアからの北方ルートと、それぞれ時代を隔てつつ重層していることになる。
1万5000年前頃になると当時は陸橋だったベーリング海を越えてアメリカ大陸へ進み、またたくまに南アメリカの最南端にまで到達している。
人類にとって最後に残された未踏の地は、南太平洋に点在して浮かぶ島々やニュージーランドだった。このルートは、今から6000年ほど前、中国の南部か台湾あたりにいた先住民が農耕をたずさえて南下を始めたことに端を発し、東南アジアの海岸線を進み、パプアニューギニアへと辿り着く。そして3000年ほど前、そこをベースに南太平洋の島々へと乗り出し、ほぼ1000年以上の年月をかけてこの広大な海域に行き渡るようになる。最終の地とみられるニュージーランドに達したのは今からわずか1000年前のことだ。

わが連合いどのがいまジーン・M・アウルのベストセラー「エイラ−地上の旅人-Earth’Children-」を読み耽っている。舞台は3万5000年前のヨーロッパ黒海周辺、更新世、最終氷河期のおわり、滅びゆくネアンデルタール人の群のなかに、大地震で孤児となった新人クロマニヨンの少女エイラが拾われ、異形の子として育っていくといった、先史時代へといかんなく想像力を羽搏かせてくれる壮大な物語。

全6部16巻、現在第5部まで翻訳出版済されており、私が以前読んだ第1部にあたる「ケーブ・ベアの一族」をなにげなく書棚から引っ張り出して読み始めた彼女は、その上下巻を一気呵成に読み果せて、病膏肓、完全に嵌ったとみえて、続刊を図書館から借り出し、ただいま第3部「マンモスハンター」を読破中だ。

「我ら何処より来たりて」とは故人となった畏兄中原喜郎氏を貫いたThemaだが、人それぞれにみな、始原へと
遡行する旅は、己が想像力を掻き立ててやまないものがあるということか。

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」−16

  手もつかず昼の御膳もすべりきぬ  

   物いそくさき舟路なりけり   越人

次男曰く、越人の「声のうつくし」の句は、後朝の面映さを包んで男が帰りがけに侍女たちに話しかけたことば、とひとます読んでよい。それに対する侍女たちの返しは、当然「手もつかず朝の御膳のすべりきぬ」だろう。この身分違いの男女の軽口は、情事を了解事項とした一種のくすぐりである。それが一応句案として念頭にあって、「昼」「も」と時違えをしたところが芭蕉の巧さである。

「かぜひきたまふ」と「手もつかず」の句は、このままでは問答体ではないが、男女の仲についての問答を句裏に覗かせていなければ成り立たぬ、というところがみそだろう。

それを踏まえたうえで、越人は、手もつかず昼の御膳もさがってきたのは、もの磯臭い船路のことだと転じている。いうなればこれも恋離れの一体で、句中の人物は貴人ではあるが女人のイメージからはすでに離れ、むしろ次に最初の花の座を控えてドラマを呼ぶ気配がある。

そう読まなければこの三句は輪廻の気味を生じる。風邪をひいたら食欲がない、食欲がないのは船酔いの所為だ、と云うのでは不様なもつれを見せるだけで、はこびにならない。そんなばかげた展開を芭蕉が許した筈があるまい。

女人の病体にのみ目を奪われた諸家-中村俊定「三句のわたりについて」、宮本三郎「蕉風連句手法の一考察」等-はここのところを輪廻だと指摘している。そうではなかろう。打越と前句とが男女向い合った噂の工夫であり、さらに芭蕉は朝から昼へ時間をずらして次句の展開を容易にしている。そういう恋離れの巧さに気付かぬと輪廻などという誤読が生まれる。曲斎も「病を舟心にかへたる甚だ拙し」と誤っている。

「前句を承けて、身分ある人の舟路の旅の憂さに悩める其場をあらはしたり」-露伴-、「旅慣れぬ身柄のよい人の、とくに舟旅であれば、食事なども進みかねたるさま」-樋口功-。
これらは、前に歩こうが後ろに這おうが、気にも留めていないふうに、ただ文字をなぞっている、と。

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